浄土真宗大谷派宝池山浄泉寺(宮城県大崎市岩出山)

浄泉寺ご案内

この浄泉寺は岩出山に開教されました。ご本尊と宗祖親鸞聖人、蓮如上人、聖徳太子、七高僧の四幅のお軸は岩出山の大火災の時にも焼失をまぬがれ、今日に伝えられます。

浄泉寺

浄泉寺ご本尊写真  この浄泉寺は口伝によると約350〜400年前頃に、岩出山に開教されたと言われており、県内の北西端に位置し、しかも周囲30キロメートルに隣寺がないという宗門としては過疎地の寺であります。
 そのルーツは、刈田郡刈田金山(岩出山町史より)とか、武蔵国赤羽の里とか、三河赤羽の地、又伊達家との縁で近江の方からとも、その説は様々でありはっきりしていません。
 明治7年、第12代目住職釋円界は、それまで古川に数ヶ所あった布教所を統合して古川説教所(現成願寺)を設立し、以来数多くの門信徒とともに法座を充実させていました。しかし、明治9年岩出山の大火災で本堂、庫裡をはじめ、山門(岩出山城内にあった詰の御門を移築)も焼失してしまい、当時を偲ぶ資料が殆どないのが残念です。
 幸いに、ご本尊と宗祖親鸞聖人、蓮如上人、聖徳太子、七高僧の四幅のお軸だけは焼失をまぬがれ、今日に伝えられています。
 当時、古川市内のご門徒の方々は、本寺である浄泉寺の災害にいち速く対処され、農家の蚕室を買いとって運搬し、まず庫裡を作り復興に着手、地元岩出山のご門徒と共に協力して本堂の建築を計画、明治40年から実に10年を経て、大正5年仮本堂として完成を見て以来、約80年間風雪に耐え、昭和、平成時代を経て来ました。
 思えば、浄泉寺がこの地に開基されてから約400年の星霜、幾多の法難に遇いながらも今日を迎えられたことは、数多い門信徒の法灯を守り伝える親から子へ、人から人へ、心から心への、真実の歩みの證であろうと思います。

鬼首ご本尊

鬼首ご本尊写真  荒雄川の源流、奥羽山脈山ふところに、かなりの歴史と伝統にはぐくまれた集落、鬼首がある。現在は秋田県との道路も整備され、また、自然美豊かな環境がもてはやされ、リゾート開発が盛んである。
 その昔、この地に浄土真宗の寺があり、独特な信仰が伝えられていたと聞く。その後、寺は大火に遇い、再建も出来ずやがて廃寺となり、ご本尊は寺役の家に安置され、以来数百年。その間、ご門徒は隣寺であった浄泉寺に帰属して150年余、篤い信仰は脈々として伝えられた。
 特におとりこし(報恩溝)は、京都本山の報恩溝日時と合わせ、11月21日から28日まで、家々が精進料理を作りご正忌をつとめて来ている。
 なお、ご本尊は昭和60年から菩提寺である浄泉寺本堂に安置されている。

浄泉寺へのアクセス


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