平成8年3月15日号


 ●「誕生」を縁として      住 職  赤羽根 證 信
 新しい年を迎え早いもので3ヶ月、彼岸となりました。ご門徒皆様には、常日頃浄泉寺の護持運営に、大変ご苦労やご迷惑をおかけいたし、お陰様にて、つつがなく日暮らしさせていただいておりますこと、心より感謝申し上げることでございます。
 本堂のすばらしい伽藍と荘厳を拝するにつけ、門信徒皆様の菩提寺にお寄せいただく並々ならぬお心を、毎日の法務をとおして感じているところでございます。
 加えて庫裡増築工事や水屋、ゴミ焼却場、駐車場より本堂・墓地への連絡通路などの環境整備につきましても、昨年末には当初の計画どおりの完成を見たことでございます。  今後は、それらの施設の活用をとおして、門信徒皆様のご協力をいただきながら、墓参りのマナーや墓地清掃などの新たな環境浄化、いわゆる心の教化活動へと進めて参りたいと思っていることでございます。
 さて、4月8日は佛教開教の祖、お釋迦様の生誕の日であります。今から2800年もの昔の出来事とは申せ、誕生と同時に四方に「七歩」歩いて「天上天下唯我独尊」と申されたそうです。しかし常識的には有り得ないことでありましょう。思うに、それはお釋迦様が亡くなられたあと、釈尊ご一代記の中で、後世の人々がそうさせたものと考えるのが自然と思われます。
 教えを吟味して見ますと、「七歩」歩まれたことは、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)という迷いの道を出られ「悟り」を得たとのことでしょうし、「天上天下唯我独尊」、これも後世の人々が、私達にとって最も尊い方として表現されたものと思われます。おそらく、お釋迦様ご自身は、この世の中のすべての人間は一人ひとりが尊い存在である「天上天下唯我独尊」の生涯ではなかったかと思われるのです。だからこそ、ほとけ様の真実の教えは、国(民族)を越え、時代を越えて、私達の生命の中心となるものと思います。
 私達浄土真宗の、開祖親鸞聖人のご誕生は4月1日です。この日を縁として本山(京都東本願寺)では誕生会慶賛音楽法要が春の法要として、おつとめがあります。
 この度、浄泉寺寺報を発刊するにあたり、あらためて「誕生」の意義を問い、私達に示された仏様の願いを身に受け、新たなる出発として、寺報誕生のあいさつといたします。
合掌

●寺報創刊を祝して  護寺会会長  北 村   明
 この度は浄泉寺寺報第1号の発行に際し、心よりお慶び申し上げます。  浄泉寺が開山して400年位と聞いておりますが、その永い歴史の裏側には様々な出来事もあり、先住の方々のご苦労も、筆舌に尽くしがたいものがあったことと思われます。
 その永い歴史に思いをはせられたご住職と門信徒の皆様のご努力により、3年前には本堂も完成し種々の設備も整い、本当に素晴らしい菩提寺として整備され、お寺の尊厳がますます充実されましたこと、皆様とともに喜びに耐えないところでございます。毎年行われる各種の事業は、お寺と門信徒皆様のご協力により、現在も充実した内容で推進されておりますが、寺報の発行によってお寺と門信徒との信頼のパイプが更に太くなって行くものと思われます。  私は、ここ数年来ほとんど毎朝本堂とお墓への参詣をしておりますが、特に本堂には格別な思いをもっておりますので、時折、門信徒の方々が墓参りをし、本堂に参詣して行かれる姿を拝見しますと、その思いはますますつのり、お寺と門信徒の心のつながりがさらに大きくなっているとの印象を強く感じております。
 本来お寺は、私達門信徒の心のよりどころでなければならないと思います。その架け橋のひとつである寺報の紙面をとおして、新たな交流の輪が広がりますことを祈念いたしまして、お祝いの言葉といたします。
 この度は、本当におめでとうございます。

●寺報の創刊にあたり  責任役員  赤 間 栄 夫
 暑さ寒さも彼岸までと申しますが、門信徒の皆様にはご健勝にてお過ごしのことと存じます。常日頃浄泉寺の護持運営につき、特段のご指導ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 装いも新たに再現されました本堂の落慶法要が、無事厳修されてよりはや2年、朝6時30分頃より7時頃まで毎日参詣に見えられる方々がおり、私も毎日ではございませんが、参加をさせていただいております。まずご本尊を礼拝し、清々しい気持ちで、住職の入れてくれるお茶をご馳走になりながら、世間話等を交わしますが、ときには、お寺、仏教、人間とはといった本質に触れる話題もあり、有意義な朝のひとときを過ごしております。時間的に余裕のある方は、老若男女を問わず是非参加をしてみてはいかがでしょうか。
 20世紀末を迎え、ふり返ってみますと、高度経済成長の影響により、物質、金銭等の追求へと人々の心の関心が高まってゆき、本来の人間的心情が失われて来ております。したがって、20世紀は物質の時代と申し上げても過言ではないと思います。人々の心はしだいに貧しさを増長させ、何事も他人のせいにする傾向が目立って来ております。例えば、列車内の出来事でしたが、座席に土足のまま子供を遊ばせていた若い母親は、車掌が近づいて来ると、自分が子供の行為を黙認していたことを省みず、車掌さんに叱られるからと子供を窘めておりました。もし車掌が来なければ、子供はいつまでも土足のまま座席で遊んでいたでしょう。その若い母親の、子供に対する躾に疑問を感じました。なぜ物事の本質を子供に教えないのか、いやその若い母親の心が貧しくなっているのかもしれません。座席とは読んで字のごとく、人が座るところであり、土足であがるところではありません。他人が見ていなければ何をやっても、何をやらせても良いと、子供にその母親は躾ているように感じられ、このような母親に育てられる子供を不憫に思うとともに、このような子供が成長した21世紀を想像するとき震撼とせざるを得ず、まさに21世紀は心の時代でなければという世論もむべなるかなと思います。
 この前の報恩講の責任役員のあいさつの中でもお話をいたしましたが、護寺会設立以降は、浄泉寺の護持、運営は殆ど護寺会が担って来ております。この度の本堂落慶を機に従来から存在しております総代会の組織の再構築を行い、護寺会と行事の分担を予め外面的なものと内面的なものとに分離をして、SLの両輪のごとく、切磋琢磨しながら浄泉寺の興隆、発展に寄与してゆかなければと思います。折角立派な本堂が建立されても、俗に言う「佛つくって魂入れず」とか「絵に描いた餅」にならないよう総代会と護寺会がそれぞれの行事分担を遂行し、門信徒の皆様が何時でも気兼ねなく本堂に集い、ともに語り合い、親鸞聖人のみ教えを学び、人間としての豊かな心を培ってゆく聞法の道場として、門信徒の皆様に愛され親しまれる菩提寺にしたいと思います。
 今回の寺報の発行が、門信徒皆様の交流を深め、コミュニケーションを計ってゆくことができればと思い、次号からは、投稿欄を設定しようと考えています。
 寺報は年1回の発行の予定です。門信徒の皆様が常に感じていること、思っていること、気がついたこと、その他どんなことでも結構です。どしどし寄稿され、この寺報が心のふれあいの場となることを祈念し、ご協力をお願い申し上げ、創刊にあたっての言葉といたします。


報  恩  講
 恒例の浄泉寺報恩講が、11月23日初冬の好天に恵まれ沢山の方々が参詣に見えられて、御堂いっぱいに念仏の声が聞かれましたこと、誠に有難いことと思っております。
 ご承知のとおり報恩講は、浄土真宗をお開き下さいました、宗祖親鸞聖人のご命日(11月28日)を縁として、私達一人ひとりがその教えをいただき、生きる力と命の尊さをたしかめる、大切なお講として実施されるものであります。
 浄泉寺の報恩講は、地元岩出山のご門徒をはじめ、古川や鬼首の方々など遠方よりの参詣もあり、門信徒が一堂に会しての同朋唱和(みんなでおつとめ)や語らい、交流、ご法話、そして昔ながらの手造りのお斉に舌鼓を打ちながら、和気あいあいのうちにも仏のみ心にひかれ、私達の心の中に「一人でいる時は二人と思え、その一人こそ親鸞なり」と語りかけられる、親鸞聖人の心の声が、私のところまでとどけられたことへの感謝の念仏となり、生活するのだとの思いを新たにしたところです。


本山参詣の旅
 昭和48年4月、宗祖親鸞聖人生誕八百年慶賛法要に団参して以来、3、4年毎に本山参詣の旅を実施して参りました。
 大師堂のご真影(親鸞聖人像)に手を合わせますと、「ようこそお詣り下さった」と聖人の声が聞こえて来るような気持ちになります。
 参詣を終えて、京都の名所や各地の見学をします2泊3日の短い旅の中で、門信徒皆様とのあたたかい心の触れ合いとすばらしい出遇いをとおして、ご同朋の輪が広がり、心の絆がより強く深くなる思いがいたします。


蓮如上人五百回御遠忌
 平成10年4月15日より、京都東本願寺において、十昼夜にわたり蓮如上人御遠忌法要のお勤めをいたします。この法要は50年に1度のご勝縁でございます。
 蓮如上人は、宗祖親鸞聖人の教えを身命かけて聞き開かれ、本願寺第八代として、生涯を尽くして聖人のご一流の再興に心血を注がれた方でございます。特に、仏法を中心とした、真宗門徒の生活を示され、「お講をひらき讃嘆談合して信心を明らかにせよ」と説かれ、勤行には、宗祖の「正信偈・和讃」で念仏申すことを定められました。
 私達真宗門徒にとりまして、尊いご法縁に遇うことは真に無常の喜びでありますので、生涯に一度のこの機会に、私達も是非法要に参詣し、皆様とともに信心の喜びを確かめあって行きたいと念じます。

 あ と が き
 この度寺報の創刊にあたり、先進寺の寺報を参考にする等、皆様に親しまれる寺報をと念じ、作成にあたっては2度にわたる編集会議を開催し、何とか満足できる寺報ができあがりました。
 また、ご住職には、基金として100万円のご芳志をいただき、厚くお礼申し上げます。皆様には、表紙を添えてお届けしますので、綴って保存して下さい。(赤間)

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