平成10年1月1日号


 ●蓮如上人五百回忌御遠忌テーマ  バラバラでいっしょ      住 職  赤羽根 證 信
 あけまして、おめでとうございます。
 新らしい年を迎え、ご門信徒皆様とともに、お慶びにたえない次第であります。
 又、常日頃、浄泉寺護持・運営にご理解と、ご協力を賜り、あらためて、厚く御礼申し上げます。
 いよいよ本年は、私達浄土真宗八代蓮如上人の五百回ご遠忌が来る4月15日より25日までの10日間、本山(京都東本願寺)に於て、厳修されます。
 蓮如上人は、常に私達民衆の中にあって、浄土真宗の教えを、わかり易く広めた方として、真宗教団の“中興の祖”と讃えられ、恵燈大師の号を授けられています。浄泉寺でも、法要に参詣を予定しておりますので、お早めに、お申込み下さい。
 昨年7月、長い間の念願でありました、浄土教のルーツをたずねて、中国、玄中寺や、香積寺に参拝して参りました。
 特に、玄中寺は、私自身にとって大変ご縁の深い寺でしたので、本殿に座して、正信偈を読経いたしました。寺に生まれて、苦労らしい苦労もせず経を読み、念仏をとなえて、40有余年、ただあたり前の様に過す日々の源点が、あるいはここにあったと、感じました。はじめての海外旅行が、中国、玄中寺とは、本当に宿縁に恵まれ、熱いものが、こみ上げて参りました。正に古きをたずねて、新しきを知る思いでございました。
 今年は、平成10年。思えば本堂建設を計画実施に動き出してから10年、完成から5年の歳月が流れました。この節目の年にあたり、又、あらたなる出発の時を感じるのです。宗祖親鸞聖人は「雑行をすてて本願に帰す」と示され、蓮如上人は、「仏法をあるじとし、世間を、客人とせよ」と、述べられています。
 ご門信徒の皆様とともに真宗の法座をより多く実践して参りたいと考えております。何卒本年も、よろしく、お願い申し上げます。

●浄土教のルーツをたずねる  中国の旅を終えて  責任役員 赤 間 栄 夫
 この旅は一般の観光ツアーには組み込まれていない、玄中寺の参詣という主目的があるため、浄泉寺独自の企画立案により計画されたものです。
 去る7月18日から25日まで7泊8日の日程で、19名が参加され、仙台空港より大連経由で北京、大原、上海、西安、再び北京を観光し大連経由で無事帰国いたしました。
 中国では、かつて全土において廃仏運動が行われ、はたして玄中寺が現存しているのか、住職が居住しているのか、さだかでなく出発4、5日前になり、はじめて存在を確認することができました。住職が在住していると知ったとたん、浄土教のルーツをたずねる旅の記念に是非住職に一筆揮毫していただかねばとの念にかられました。今回の旅の最大の目的である石壁山玄中寺は、大原市内より70キロ離れた山中に、読んで字のごとく石山にへばりつく形で3つの伽藍が上方に並んでおり、俗化されていない静寂なたたずまいに感動されました。早速住職直々のお出迎えを受け接客室へ招かれ、現地のガイドの通訳により初対面の挨拶を交わしました。玄中寺の住職は「日本からわざわざ参詣に来てくれましたか」と大変感激をされました。しかし、14時40分に大原空港を出発という行程で、玄中寺での滞在も限られた短い時間のため挨拶もそこそこ揮毫をお願いしたところ、心よくお引き受けされ、全員に「南無阿弥陀仏」と書いていただくことになり、安心はしたものの時間的に無理だろうと咄嗟に思い、場合によっては昼食抜きという事態になるだろうが、30分滞在時間を延長することにして、その間私達は他の僧呂の案内により、玄中寺の寺院内を参拝することにしました。
 悠久の歴史を秘める中国大陸の浄土教の発祥の地である玄中寺の伽藍において、わが浄泉寺の住職は万感を胸に厳粛にかつ朗々とお経を奉じられ感無量であったろうし、とてつもないことをやりとげたと思ったとき、私の胸に熱きものがこみ上げてきました。浄土真宗の門信徒の一人として、いや妻も同行していましたので2人の生涯に忘れ得ぬ想い出として折りにふれて去来するものと思います。
 わが国の浄土宗の開祖法然上人が師と仰いだ善導大師は、曇鸞大師によって建立された玄中寺において求法の修行に努められました。初めは「法華経と羅摩経」の修行でしたが、のちに「観無量寿経・浄土法事讃」に深く感応され、その後長安(西安)の香積寺にて浄土教を布教し続け「阿弥陀仏教・観無量寿経疏・浄土法事讃」などの仏教教理関係の異籍を著わし、浄土教の開祖となり、彼の説教は長安からわが国に伝播されました。
 1980年5月14日、香積寺において、日中両国の信者が大師の入寂千三百周年を記念して「善導大師・法然上人二祖対面」と題し盛大な行事が行なわれたそうで私達も参詣して参りました。
 ちなみに、浄土真宗の開祖親鸞聖人は、法然上人を師とし、天親菩薩・曇鸞大師の親と鸞をいただき親鸞としたそうです。
 私にとって今回の旅は、玄中寺の住職に書いていただいた「南無阿弥陀仏」の六文字にすべてが凝縮されていると言っても過言ではなく、参加された者のみぞ知る、意義深い貴重な旅であったと思います。最後に拙き一首を添えてペンを置きます。
   真宗のルーツの名刹玄中寺に
      両手合わせぬ海を越え来て


報恩講厳修報告   役員 蘓 武 則 行
 浄泉寺の報恩講が11月23日、本堂に於て鬼首、古川、岩出山地区多数の門信徒が参加し、盛大に行なわれました。
 報恩講は、浄土真宗をお開きになった宗祖親鸞聖人の御命日(11月28日)を縁として、私達門信徒が生きること、そして命の尊さを確かめ合うためのものです。
 最初に総代(赤間)より1年の経過を含めた簡単なあいさつがあり、門信徒全員のお勤め、和尚様方による正信偈の声明、住職による御文の朗読、その後岩手県通来寺清谷和男先生の講話をいだだき、熱のこもったお話に参詣者は熱心に聞き入っていました。この中で印象に残ったことがありました。それは人間として生きてゆくための根本となる考えを織物を例にとって話されたことです。織物を織る時は基本となる縦糸がしっかりしていなければ、いくら横に糸を通しても布にはならないということでした。いったい私達は何を縦糸にして生きているのか?…
 考える機会をいただいた事に感謝いたします。
 昼のお斎(とき)は、今回の報恩講のお世話をしていただいた要害、横町、川原町の皆様のお料理とともに、亡き浄泉寺のおばさんの漬物(浄泉寺漬け)が復活し、とても懐かしく、おいしくいただきました。総代会役員の皆様大変御苦労様でした。


報恩講にお詣りさせていただいて    古川市 佐 藤 了 子
 好天に恵まれた、11月23日、浄泉寺様の報恩講に、お詣りさせていただきました。
 丁度、和尚様方の「おつとめ」の時間に到着、心静かにお経をお聞きすることが出来ました。本堂のまばゆく輝いている仏具、すばらしいお花、白、黄、紫の台座の上の密柑と落雁で飾られた須弥盛の見事さは、1年に1度の報恩講を、さらに厳かにしておりました。
 岩手県通来寺住職、清谷先生の法話をお聞き致しました。
 講恩講をとおして、親鸞聖人の恩徳をしのび「私」というものに、気付かせていただき、門信徒の全員が、同朋として親密な交わりが出来ることなど、幅広い、ご法話に、心を新たに致しました。
 総代より蓮如上人五百回ご遠忌参詣と伊豆半島の旅のお話を伺い、50年に1度の勝縁に、申込みを致すことにしました。
 心のこもった、手作りの、おときのおもてなしも又、報恩講の楽しみのひとつでございます。
 今年は、和尚様のお母さんを偲びお得意だった「浄泉寺漬」も大変美味しくごちそうになりました。和尚様はじめ、役員の皆様の心暖まる気配りに、感謝いたし帰宅致しました。
 ありがとうございました。


同朋の会前期教習に参加して   護寺会長 北 村   明

 去る12月3、4日両日、仙台組の同朋の会推進員前期教習に、住職同行のもと、赤間栄夫さんと2人、参加させていただきました。
 第1日目は、「同朋会運動の趣旨について」と題して講話があり、真宗教義については、2日間にわたり講義を受け、誠に有意義な教習でした。お内仏のお給仕についての話には、まだまだ門信徒の私達には学ぶべき点が多くあることに気付かされました。
 同朋の会は本来、寺ごとに結成し、宗祖親鸞聖人の教えを聞く場を作り、会を中心にして、その教えを現代社会に、発信していこうとしたものであります。それは旧来の家の宗教から個の自覚の宗教への歩みの集いが願いとされました。親鸞聖人のことば「御同朋、御同行」として、共なる世界を生き切って行くことを、運動のスローガンとして揚げられたのです
 私達、浄泉寺に於ても、この運動を実践出来ればと考えさせられました。
 雪の降る鳴子の会場では、各寺から参加した方々が、熱心にノートする姿、座談会では、各寺の様子など話し合い、時間が足りなくなる程、盛り上がりがありました。後期教習は本山で、2泊3日の研修です。
 さらなる精進と再会を誓いながら教習を終えて参りました。

□新役員紹介□
平成9年6月29日、役員会の席上で、寿丁地区、筒井喜久雄様が選任されました。
 よろしくお願いいたします。
◎坪田辰雄様、長い間ごくろう様でございました。


蓮如上人五百回ご遠忌参詣と伊豆半島の旅
 日時 4月20日(月)〜22日(水)
 旅行代金 91000円
 定員   40名(先着順)
 50年に1度の法縁に遇うことと2泊3日の旅の中で、皆様とともに、あたたかい心の触れ合いとすばらしい出遇いをとおして、御同朋の輪がさらに広がることと思います。申込みは浄泉寺までご連絡下さい。(72−1168)

 あ と が き
 中国出発前、北京の夏は気温40度でカラカラ天気で雨はほとんど降らないと聞いて、心配しながら現地へ。
 ところが、万里の長城は台風なみの大雨。せっかくの展望も視界ゼロ。残念というより、こんなめずらしい時に出遇えて、それもまた、よかったと思い直した。旅をエンジョイするのは、案外そんな、おおらかさが必要かも知れない。
 中国は漢字だけの国です。
 子供達は、小学校で数万字をおぼえなくてはならないそうです。
 旅の間中、あちらこちらで、見たことのない漢字を見つけては、ガイドさんに質問して、その答えに、うなずいたり驚いたりの連続だった。
 ところで、寺報3号の発行は、いろいろな人々にペンをとってもらった、「肩のこらない情報紙を」と考えて……(住職)

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