平成12年1月15日号


 ●すべての人に今日がある  あることかたき今日である      住 職  赤羽根 證 信
 あけまして、おめでとうございます。門信徒皆様とともに、西暦2000年、節目の年を迎えられましたことをおよろこび申し上げます。
 表題の言葉は、本願寺カレンダー1月の紙面にあります。この言葉を吟味して見ますと実に奥深いものを感じます。あることかたきとは、ありがたきという意味でございます。
 昭和34年、前住職(父、隋證)死去の後、浄泉寺十四代目住職を拝命して40年、全く無能な身が、門信徒皆様の変らぬご支援により、大過なく過ごさせていただいたことを心より感謝申し上げます。
 近年になり、平成5年本堂建設という大事業が完遂され、平成9年には、永い間の宿願でありました、浄土教のルーツをたずねて中国、玄中寺への参詣をはたして参りました。そのときの感動がいまも鮮明に想い出されます。
 翌平成10年は、本願寺八代蓮如上人五百回忌に本山団参を、ご門徒の方々と行って参りました。そして昨年は、世界遺産である中国、西城シルクロード敦煌莫高窟の仏様との出遇いをはたして参りました。私達が日頃読んでいる経本は、サンスクリット文字を嘆字に訳されたものですが、その訳された場所である敦煌は、およそ1500年前にすでに出来上り、仏像や経訳を絵にした莫高窟が約500窟あり、予想以上のスケールに人生観が変わるほどの驚きと感動をおぼえました。
 かねてより念願いたし皆さんからも心配されておりましたが、9月18日に古川成願寺の住職を拝命されました。
 又、時を同じくして、成願寺の本堂建設と古川都市計画道路にともなう墓地移転工事など、その責任の重大さに身が引きしまる思いでございます。さらなる精進をいたして参りたいと存じております。
 現代は末法の世といわれ、混沌とした世相の中、宗祖親鸞聖人の“煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきにただ念仏のみぞまことにておわします”と歎異抄に表わされておりますが、この言葉を大切にあらたなる気持で法務に専心いたしたいと存じます。
 本年も、門信徒の皆様のご協力とご支援を、心よりお願い申し上げます。
合掌

●短歌(うた)を友として  責任役員 赤 間 栄 夫
 岩出山町に短歌クラブが発足してから、早いもので27年になる。老化防止として、いや才能がないのだろう、歌歴だけがのびて歌力の方はさっぱりである。
 町で行っている健康診断で肺ガンの疑いがあると言われて再検査。そして、精密検査のため仙台市泉の結核予防会複十字健康センターへ行くことになった。

 それぞれの思いを秘めて発車せし
   精密検査のバス静かなり


 当日の検査は仙台の厚生病院の先生で、再精密検査を受けることになった。


 ご家族を同伴してと確かむる
   ごとくに医師云う精密検査日を

 CTの肺の写真にはっきりと
   うつれる腫瘍をわが目に確かむ

 実物の大きさを問うCTの
   写真の腫瘍の説明さえぎり


 他人ごとと思っていたガンが自分にとって現実のものとなると、動揺しないと云ったら嘘になる。しかし現実をしっかりと見つめ、今何をしなければならないか?
 答えは一つ、「いつでも手術ができる健康状態にしておくことである。」と心に決めると、人間おかしなもので霞のようにかかっていた迷いが私の身体から潮のように引いて行った。


 今日よりは体力づくりと決意しぬ
   ガンの告知を受け止めながら

 一糎乃至二糎と医師は云う
   わが肺上葉のガンの大きさを

 わが肺の手術の可能をラッキーと
   先は思いぬ説明ききつつ

 文化祭の吟舞を無事に舞いおさめ
   肺ガン手術の入院を待つ


 私が入院を待っている間に、義弟、そして親友と身近な者がこの世を去って行った。義弟の訃報に接するやいなや新幹線に飛び乗っていた。横浜の兄弟達は、ガン手術を控えている私の出現に大変驚いていた。義弟の葬儀をとどこうりなくすませて帰宅した。


 兄さんと今にも呼んでくれそうな
   柩の中の君の寝顔よ

 喪にくれし三ケ日過ぎ入院す
   正月四日の仕事はじめに

 入院後着きしと妻の持ちくれし
   賀状読みおりベットの上に

 右肺の三分の一とリンパ節
   切除となるを妻もうなずく


 入院後は手術をするための検査が続けられた。風呂は土、日曜日を除いて毎日入ることが出来て、平成8年に竣工されたとかで病室も大変きれいで、まるでホテルにでも宿泊しているようである。見舞に来てくれた人々も異口同音に私に告げて行った。


 久々に今朝の仙台吹き荒れて
   横なぐりの雪病窓よぎる

 階段を登り降りして体力の
   維持につとめぬ入院中も

 検査なき一(ひと)日はベットに短歌の本
   開きぬ時折り微睡みながら

 回診とう看護婦の声微睡みの
   中に聞きおり遠くかすかに


 2、3日後に肺ガンの手術を控えているのに、リラックスした気持で、しかも体重は4キロも増えている。自分がこのような状態にいられることは、毎朝風雪にもかかすことなく菩提寺にお詣りをしているからなのだろうか。私は神様や佛様は決して病気や怪我をなおしてくれないと思っている。なぜなら病気や怪我で亡くなる人が後をたたないからである。
 毎朝お詣りをせずにはいられない気持と、それを実践している努力が、永年のうちに自信となり、心の人間形成がなされてゆくのかもしれない。


平成11年報恩講を終えて
 報恩講は浄土真宗寺院の最も大切な行事で、宗祖親鸞聖人のご命日(11月28日)を縁として、お念仏の教えに出遇う法座であります。
 11月23日、恒例の報恩講が晴天に恵まれ実施されました、本堂はほぼ満堂に近い参詣の人々でうめられました。今年は柱や框に金具が打たれ、内陣仏間は、お花、お供物で飾られ一段と荘厳な中、住職をはじめ、宝林寺さん、冷源寺さん等各寺ご住職8名、若住職3名と圧巻な読経、さらに岩手県北上市通来寺の清谷和男先生のていねいなご法話をいただき充実した内容の報恩講になりました。
 特に鬼首の方々は、この報恩講に対して格別なお心を寄せられ、毎年、バスにて団参しておられまして、大変ありがたいことと思います。又、庫裡での、おときも例年と変らぬメニューながら、当番講の方々は、前日からうでによりをかけた手造りのご馳走に伝統の行事ならではの、心あたたまる味わいを感じました。


蓮如上人ゆかりの地吉崎を訪ねる旅
 旅行の日程等につきましてはまだ未定ですが、晩春から初夏にかけての日の長い時期に、浄土真宗第八代で昨年五百回ご遠忌法要をとり行なわれました真宗中興の祖と云われております蓮如上人ゆかりの地吉崎(福井県坂井郡金津町吉崎)へ、本山(東本願寺)参詣後に是非足をのばしてみたいと思っております。蓮如上人の命日は3月25日ですが、毎年4月17日本山からお厨子が途中の門信徒の方々により、駅伝のごとくに手渡され24日に吉崎御坊に到着され、その日は逮夜、次の日に法要が営まれ、蓮如上人没後今年までかかすことなく続けられて来ております。幸い福井県の温泉郷である葦原温泉が近くにあり、1泊をして、翌日は金沢の兼六園とその周辺、そして輪島塗り、朝市で有名な輪島に1泊をして帰着時刻は多少遅くなりますが楽しい旅にしたいと思います。乞うご期待。
(赤間)


古川成願寺について
 成願寺は、明治11年、藩政時代に裏町地区、中里地区など各地で開かれていた布教所を合併した形で古川法橋河原(現在地)に、古川説教所として建設されました。
 当時、浄泉寺十二代円界をお世話役に、数少ないご門徒が中心となって、28日講(宗祖親鸞聖人ご命日)を開き、布教活動を重ねました。隣接するところには、共同墓地がありましたが、独自の墓地を造成、昭和29年、戦後の宗教法人制度を機に成願寺としました、時来、東本願寺、東北別院輪番が特命住職となり現在に至りました。しかし、祖父円界以来、父隋證、私まで、ひたすら真宗興隆の法務を、決して能力があるとは思いませんが、宗祖聖人の申される“ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし”との意を体し、専念してまいりました。その間、筆舌にもつくせぬ様々な出来事にも遇い、そのことすべてが今日の姿と思っております。
 今後は、これまで以上に、岩出山浄泉寺、古川成願寺の交流を盛んにし、同朋社会顕現に、精進させていただきます。

  信心すなはち一心なり
    一心すなはち、金剛心
    金剛心は、菩提心
    この心、すなはち他力なり
         高僧和讃より 
  南無阿弥陀仏        合掌 
成願寺住職代務者 浄泉寺住職  赤羽根 證信

 ●コラム
法事(年回法要)のこと
 私達にとって法事をつとめるとはどの様な意味をもっているのでしょう。
 一般的には「先祖の供養のため」「後に残ったもののつとめ」などですが、本当は「亡き人をしのびつつ法縁に遇う」ということでしょう。
 亡き人をしのぶことは人間だけに与えられた美しく尊い感情ですが、亡き人との関係は、私達は都合によっては愚痴や嘆きとなり、はては「こんなに大切にしているのに」とうらんだり、あげくは「先祖のタタリだ」とか「先祖が迷っている」と、まるで亡き人が鬼か亡者の様に見てしまいます。これを迷いの心といいます。それは仏様の教えを忘れているからです。仏様の教えに出遇いますと「私が迷っているから、先祖も迷って見えた。亡き人を亡者にするも仏にするも、偏に私の心の眼が開かれるかどうかにかかっていました。」と、自分の存在が問われてくるのです。
 私が仏様をまつるという気持でなく、仏様の教えが私に聞こえてきて心が開かれていきます。その法縁(仏法に遇う機会)を与えて下さっているのが亡き人だったと、手を合わせしのばせていただくのが法事です。
 したがって法事をつとめ上げるといわずに、つとめさせていただくという心なのです。
池田勇諦布教録より

  お た よ り
 略、先日の護寺会報のほたるの記事を拝見して、大変なつかしく、うれしく読ませていただきました。蛭沢川の川原に百数十匹の群飛、おどろきました。
 農薬や家庭の生活排水で、自然のいのちが失われようとしている時、私達に共なるいのちの大切さを知らせていただきました。
 ありがとうございました。
愛知県 石川様


 あ と が き
 山形新幹線が新庄まで延長されたのを記念して、陸羽東線に久しぶりにSLが走った。12月中旬週末の午前10時頃と午後6時頃の1往復。私達の郷愁と哀愁をのせ、汽笛をならしながら…。
 聞くところによると、一般乗車券の発売には、全国各地からインターネットを通じての申込みで、数分にして完売。機関車の通る周辺では、人気タレント並みのカメラフラッシュの嵐とか。お蔭で国道47号線は大渋滞。一方古川駅では、煙で目やのどが痛いとかでひとさわぎ。
 煙といえば、先日成願寺の庭の落葉を集めてたき火を楽しんでいたら近くのひとににらまれました。
 近頃は煙の少ない線香まで売られている。ダイオキシンとやらに神経質になっている方々…(失礼)。ゴミも、自分より遠くに追いやるのではなく、もっと根本を考えて見ませんか。(住職)

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