平成13年2月15日号


●ただ念仏して      住 職  赤羽根 證 信
   生死の苦海ほとりなし
    ひさしくしづめるわれらをば
   弥陀弘誓の船のみぞ
    のせて必ず わたしける
                 (高僧和讃)より

 記録的な大雪に見舞われた、2001年(新世紀)を迎え、門信徒皆様には、健やかにお過しのことと、お慶び申し上げます。常日頃、菩提寺である浄泉寺・成願寺護持にお心をおよせいただき、厚く御礼申し上げます。
 さて、昨年はみなさんのご要望により、本山本願寺・第八代蓮如上人ゆかりの地・吉崎御坊(福井県金津町)参詣の旅を実施いたしご好評をいただきました。ご承知のとおり、蓮如上人は、宗祖親鸞聖人のお念佛のおみのりを人々の中に根ずかせるためにご努力され現在の真宗興隆の基礎を作り中興の祖と申される方であります。
 平成11年蓮如上人五百回忌の折、作家五木寛之さんは、宗祖親鸞聖人の師・法然上人(浄土宗開祖)を「むづかしい仏教の教えをやさしく」親鸞聖人を「やさしいことを深く」蓮如上人を「やさしく深いことをより広く」伝えたと評しました。しかし今、その願いが私達のところまでとどいているにもかかわらず「むずかしい」といい、日常的でなくなっている現実を「時代のせい」とだけ決めつけている自分が厳しく問われねばならないとの自覚を持つことであると思います。
 そんな折、長い間の願いであった浄泉寺本堂建設、そして、今度は成願寺本堂建設という、いずれも歴史的大事業の流れの中に参加出来たことのよろこびは、何事にもたとえられない、深いご縁のたまものであります。
 およそ800年前、宗祖親鸞聖人が35才の時、それまで京都という都会に暮し、貴族社会や僧侶という当時はエリート集団での様々な人間関係のあつれきの中で、人間本来のあるべき姿を模索して来ましたが、突然雪深い北陸の辺地への流罪(念仏弾圧)になりました。しかし親鸞はそれを逆縁として、自然とともに生きる素朴な田舎の心豊かな人間性に出遇い念仏者、求道者として、民衆とともに生きる自分「ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべし」を、生涯かけてあきらかにされました。その先達の教えが、はるかな時を越えて私の中に生きる「いずれの行もおよびがたき身」あらたな出発のしるしであり、寺の本来の存在の意義を聞法の道場として、「生かされて生きる」、わたしのいのちの顕現に精進させていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます。合掌


●21世紀を迎えて  責任役員 赤 間 栄 夫
 激動の20世紀から躍動の21世紀へ、早いもので1年間の12分の1が過ぎてしまいましたが、檀信徒皆々様にはご清栄にてお過ごしのことと存じます。
 世紀のはじめということで、これまでも幾度か寺報・護寺会報等で触れてきましたが、もう一度ふり返ってみようと思います。
 私達の菩提寺である浄泉寺は、宝池山浄泉寺と言い、宗派は浄土真宗です。浄土真宗には10の派があり、浄泉寺は大谷派で、本山は京都の東本願寺です。ちなみにお寺の数は全国で約9000、西本願寺が約1万500で、約2万余ケ寺、檀徒の数は日本全国で一番大きな宗派です。
▼明日ありと
 また浄土真宗の開祖は親鸞聖人です。親鸞聖人は9歳で京都の青蓮院(粟田御所とも言われている)と言う大変有名なお寺の慈鎮和尚について得度をされましたが、そのとき夜もおそくなってしまったので得度は明日にしましょうと言われると、親鸞聖人は、
 明日ありと思う心のあだ桜
  夜半に嵐の吹かぬものかは
美しく咲き誇っている桜でも、夜中に春の嵐がさっと吹くと花が散ってしまうかもしれません。だから、是非今日とお願いをして、得度をなされたという話が伝わっております。
 その後、親鸞聖人は比叡山に登られ、恵信僧都という方が比叡山の横川で浄土教学を起こされましたのでその教学を勉強されまして、常行堂の堂僧として20年間修業をされました。
▼愚禿親鸞
 親鸞聖人は自分のことを愚禿親鸞といっておられますが、これは伝教大師の「愚が中の極愚・狂が中の極狂・塵禿の有情・底下の最澄」と言う最澄が発願文の中でおっしゃっていることを受けて親鸞は自分のことを愚禿親鸞と言ったのではと思います。「禿」と言うのは僧侶という意味で、愚かな小僧の自分と言うことでしょう。
 比叡山を下りられた親鸞聖人は京都の六角堂に参籠されます。六角堂は池の坊のお花で有名なお寺です。ご本尊如意輪観音のお勧めで法然上人の弟子になります。
 法然上人は黒谷の青竜寺に30年ばかりおられ恵信僧都の浄土教学を勉強され、浄土宗をお開きになられました。わが岩出山町では来迎寺が浄土宗です。
▼鳥の巣禅師
 昔中国に道隣禅師という方がおられましたが、いつも木の上で修行をされているので、鳥の巣禅師と呼んでおられたそうです。そこへ皆様もご存知の唐時代の詩人である白楽天が、抗州の地方長官として赴任され、大変立派なお坊さんがいると聞き鳥の巣禅師を訪ねてこられまして「佛教とはどういうものか教えていただきたい」と申し上げましたところ、鳥の巣禅師こと道隣禅師は「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意是諸仏教」(悪いことはするな。いいことをしなさい。そして自分の心を清らかに、これが仏の教えだ)と答えたそうです。白楽天は「なんだそんことなら3歳の子どもでも知っている」と言ったそうです。すると道隣禅師は「3歳の子供でも知っているだろう。しかし60才の年寄りでも実行するのは難しい」と言われたそうです。
▼21世紀
 21世紀は心の時代ともいわれており、宗教と民族の問題が大きな課題になるのではないかと思われます。
 宗教の違いを越え、民族の枠を越えて、バラバラでいっしょ、差異を認め、同じ人間として尊敬し合うことのできる社会が求められるのではないでしょうか。        


新世紀を迎えて  東川原町 庄 司 寿 夫
 大雪に見舞われた新世紀の幕明けになりました。小生が本町に住んで60数年になりますが、1メートル近くの積雪は、余り記憶にない積雪の様な気がします。
 「新世紀は人権の世紀」とも言われています。昨年の報恩講でいただいた「真宗大谷派(東本願寺)教団通信」の中で、「開かれた寺院運営と男女共同参画をめざして」の記事に関心を持ちました。昨年の宗会(宗議会・参議会)では、「坊守」(男性住職の妻)の規定をめぐっての論議から二つの指針を提起しました。
― 中略 ―
 今後の課題として、女性に関する教学・教化・制度についての検証、男女共同(平等)参画を推進するための基本的「条例」の制定、さらにその男女共同(平等)参画を具体的にすすめていくためのビジョンの策定に向けて取り組んでいます。と唱われています。
 そして、報恩講の読経の折にも、8人の男子僧侶の中に一人の女子僧侶の方が一緒に読経を唱えておられたのが大変印象的でした。
 本町では、昨年の8月から岩出山町男女共同参画社会推進審議会が発足されました。さらに、12月に、「岩出山町いわでやま男女平等推進条例」を制定しました。全国の町村で初の条例、分かりやすく具体的な条例、内容も先進的。全国町村のお手本になりそうだ。と評価されています。
 佐藤町長さんは「女性や子供、痴ほう性老人への差別的扱いが増え、人権意識が薄らいでいる。その実態や、生活のいろいろなニーズを最も把握しているのは女性。女性が表に出ないようでは、今後の町づくりができなくなるからです。」と語っておられます。
 小生も、平成10年から審議員の一員として、浅学を恥じながら町づくりに関わっています。 特に感じていることは、「町づくりは人づくり」と言うことが、小生の持論です。
 昨年の町づくりの公聴会で、真山・池月・上野目・岩出山・西大崎の五地区の方々と懇談会を数回開催して、各地域の方々の建設的な意見を拝聴いたしました。その中でも女性の方々の発想豊かなご意見が大変参考になりました。
 地域性をプラス思考で生かしていけば活性化に通ずると思います。
 昨年の暮の新創世記総合計画公表のつどいで公表された各地区の将来像は、次のとおりです。
 ○真山地区…さわやかな風が吹く邑(むら)・まやま
 ○池月地区…緑の交流やすらぎ定住
 ○上野目地区…みどりあふれるいきいき上野目郷
 ○岩出山地区…ほっとする夢空間いわでやま
 ○西大崎地区…子どもからお年寄りまでみんな豊かに元気に暮らす西大崎
 この将来像を目指して、各地区の活性化に取り組んでいただければ幸甚です。
 公聴会の折に、赤羽根住職さんからご提言をいただきました「向う三軒両隣での思いやりの心」を20世紀から21世紀の橋渡の言葉として大切にしたいです。
 また、親交会等の役員構成も、男女の比率を考慮すれば、男女共同参画が推進すると思います。
 新世紀は、「知恵とサービスは豊かに、物とエネルギーは慎しく」と言われています。お互いに、人の心を大切にしたいものです。人間が生活していく上で何が求められているのか、社会は何を求めているのかを考えながら心して、新たな気持ちで、新世紀をスタートしたいと思っています。(合掌)

 ●コラム
 色はにほへど 散りぬるを
  わが世 たれぞ常ならむ
 有為の奥山 今日越えて
  あさき夢見し ゑいもせず

 誰でも知っている「いろは歌」です。
 「わたしたち死んだら、みんなお浄土に往くんですか」
聞かれて、私はとりあえず「はい」と答えました。
 「それではお浄土はどこにあるのですか」「さあどこに、どんなところにしたもんでしょう」 可愛い子供を亡くした親は、かわれるものなら、と思い煩います。暗い世界で迷っているのではないか、さみしい思いをしてはいないか、と…
 実は死んだ子供が暗い世界で、さみしい思いをし、迷っているのではありません。暗く、さみしく、やりきれないのは、子供を亡くした親の心の方なのです。
 生・老・病・死・愛別離苦はこの世の道理です。しかし私達はそれを受け入れることは出来ません。そして苦も、死も、老いも、病もない理想の世界で、愛する人と再び出会えることを切願します。この心が輪廻転生の世界を造り出したと思うのです。
 亡くなった人は、無為(色もなく言葉も絶えた彼岸の世界)に帰りました、お浄土は私達をこの無為の道理に「めざめ」させようとする仏の智慧と慈悲より生じた「願」の世界であり、念仏の信によって見いだされる世界です。
 私達が、この悲しみのままに念仏し、自らの迷いの心を自覚しつつ「ただ念佛申さるべし」の呼びかけに心を開き、自身の帰るべき場所を見いだす時、そこに発起せしめられた願生の心に相応して、浄土はあるのです。
 そして一切が、お念佛のご縁となっている浄土のほとけとして仰ぐ時、その中にこそ、亡なって往った人達と、共なるいのちを生きる日暮を見出すのです。
  南無阿弥陀仏
(真宗の生活より)

 あ と が き
 大雪の中で、年賀状の整理や今年の予定をカレンダーにメモしている、昨秋、鬼首に亀虫が大発生したのでこの冬は大雪になるぞ、と古老の予言。それが大当り、お陰で除雪は年末から半月間毎日であった。どこの家でも皆高齢者の仕事の様だ。そのうえ車社会なので昔より大変である。
 1人暮らしの老人は除雪もままならず、近所の人達が話し合ってお手伝。都会に住む子供達は、ひょっとすると大きなお世話とでも思うのか、又は忙しいのか連絡しても応答なし。
 そんな中、東京・大久保駅でのことが人間喪失の時代に強いインパクトを与えた。雪がとけたら水になるとは論理的。自然界は、雪がとけたら春になる。
 私達は、この冬の様な時代に、あたたかい心の春の歩みを考えようではありませんか。
合掌

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