平成14年1月25日号


●闇をやぶる念佛の道      住 職  赤羽根 證 信
    無碍光の利益より
      威徳広大の信をえて
    かならず煩悩の こおりとけ
      すなはち菩提の 水となる
                   (高僧和讃)より

 21世紀の幕明けの昨年は大雪に見舞われ、今年も又雪の正月となりました。門信徒の皆様にはおだやかな新年を迎えられたことと、お慶び申し上げます。
 日頃、浄泉寺・成願寺護持にお心を寄せていただき、まことに有難く、厚くお礼申し上げます。
 念願いたしておりました両寺本堂も平成6年浄泉寺、平成13年成願寺と、ともに立派に完成を見ましたこと、門信徒皆様のご労苦をしのびながらあらためて感謝申し上げます。
 過年、私の尊敬する南郷玉蓮寺前住職故白木沢智渕氏から「本堂を建設しようとする条件のひとつとして、参詣の方が本堂にあふれる様になったとき」と言われた言葉に激励されたことを思い出しました。
 私達の本山、京都東本願寺は京都の駅前にあって、木造建築世界最大の威風を誇っていますが決して財力があったからではありませんでした。
 立教開宗から幾度となく迫害を受けながら、幕末の内乱で焼失し、明治維新におきた廃仏毀釈の嵐の中、明治28年全国の門信徒からの懇志が実を結び出来上ったということであります。
 その後、門信徒のみなさんが本山での報恩講や大法要に参詣することから、大きな伽藍が必要となったのでした。
 そのひとつに、宗祖親鸞聖人を祀る大師堂と、本堂にあたる阿弥陀堂の屋根のかわら一枚一枚も、門信徒のご懇志によって葺かれおり、その数284、296枚にもおよんでおります。あと10年後には、宗祖親鸞聖人七百五十回忌の大遠忌法要を迎えることになっており、50年ごとの法要で去る昭和36年の七百回ご遠忌以来のことでございます。私達にとって生涯に1度の法座となり、すでにその準備が始っております。
 お寺は昔、寺小屋とも呼ばれ又庶民の人別をも司ったところで、現在で言えば学校であり役場の様なところだったのです。しかし今、寺の役割はどんなことなのでしょうか……。
 21世紀は心の時代とよくいわれています。あらためて、浄泉寺・成願寺本堂の完成を通して、真の開法の道場として育てて行くことが願われていると信じているところです。 合掌

●本堂の静寂とやすらぎ  責任役員 赤 間 栄 夫
 今年こそ
  今年こそはとこの年も
 今年こそはと両手あわせる 
有涯・詠む
 新しい年を迎えられまして皆様には、如何お過ごしでしょうか。
21世紀は思いもよらぬ同時多発テロ事件という悲惨な幕あけとなってしまいました。なかには宗教戦争だという人がおりましたが、世界の三聖人といわれる、釈迦・キリスト・マホメット等のお教えの根本理念は、世界平和にあるのではないかと私は思っております。
▼集い・語らいと投稿
 現在も私は、毎朝菩提寺である浄土真宗大谷派の浄泉寺のご本尊阿彌陀如来に参詣をし、お念佛を唱えております。私の外にも毎朝お参りをされている方に、北村明・千葉仁一ご夫妻・の3氏と毎朝ではございませんが、岡本修一・菱沼泰彦・大坂弘の3氏。また門徒ではございませんが、石井国孝・飯川宗夫・飯野陽介・文屋文夫の4氏の方々がお参りをされておられます。朝6時30分からの短いひと刻ですが、有意義に楽しく過ごしております。皆様もよろしかったら是非ご参詣なさってみてはいかがでしょうか。また浄泉寺では1年間に寺報と護寺会報の2つの会報を発行いたし、門信徒皆様方のコミュニケーションをはかっておりますのでどんなことでもよろしいですから奮ってご投稿賜わりますよう年頭にあたりよろしくお願い申し上げます。
▼鏡のなかの映像
 世間一般では自分のことは、自分が一番わかっているとよく言われますが、自分の顔を自分で見ることができるでしょうか。「鏡を見れば見える」と言う人、そしてまた「そうか鏡を見なければ見えないな」と言う人がいます。結果としては同じことを言っているのですが、ものの考え方としては随分差があります。たとえばネクタイを締めるときに鏡を見る。その鏡の中には、鼻も口も目も写っていますが、いま口を見ましたかと聞かれても口は見ていないのではないでしょうか。また「口もとがかゆい、蚊にでもくわれたのかな」と鏡を見るそのとき、耳とか目などは見ていないのです。したがって鏡の前に立てば、顔は映ってはいますが実際には顔の一部分を見ていて、顔全体を見ていると言うことではないと思います。
 見ると言うことは、見る人の身体の状態たとえば、ねむいとき、頭がボーッとしているときとか体調のよくないとき等、また近視・遠視・乱視・老眼とかそのときの状態・条件などつまりそのときの自分の目が見ており、鏡の中の自分も同じ条件でしか見えません。これは顔をみるということだけではなく、反省をするということにも当てはまります。
▼不完全からの蓄積
 反省というのは自分の知識・経験・関心・能力・性格など心の視力によって自分を見ているのですから、見えていない部分や、ゆがんで見える部分があります。
 「反省をするだけなら猿でもできる」という言葉がかつて流行したことがありました。
 自分自身には見たくないところが沢山ありますが、それを隠さずに見ることが必要であると親鸞聖人は、自分の師である法然上人が、師と仰いだ善導大師の言葉を、教行信證の信卷に引用されており、ご自分の欠点をこれ以上ないというほど徹底してみつめておられる姿をあらわしております。
 人はみな不完全なものであると私は思っております。したがって人間の評価はゼロから始まって、どれ位積み重ねられたか加算法で考えて行きたいと思います。


仙台組門徒会自主研修に参加して     護寺会会長 北村 明
 仙台組門徒会は各寺院の代表2名で構成されている会であります。この度は会の事業として、自主研修会の案内をいただきました。体調は万全ではありませんでしたが、会場が地元(鳴子町)なので、参加することにしました。
 日程は12月11日・12日で11日午前10時仙台を出発、途中、七北田の浄満寺と浄泉寺を参詣して目的地へということでした。浄泉寺までの予定は11時30分、当日住職が古川出張で予定通りに帰って来ましたが、皆さんの訪問が早く、寺の案内は私がいたしました。参加した人々は一段と充実した浄泉寺のすばらしさに、おどろいていました。
 午前11時30分、バスは一路会場の中山平仙庄館へ。午後1時から4時、講義、そして質疑応答。内容は門徒会規約の問題点を中心に、熱のこもった協議が行われました。特に門徒会の行事等については、一般の門信徒や、住職さん方の参加を計っていただくことや、門信徒の自覚を高めるための問題などが話し合われ5時すぎ終了し、6時から懇談懇親が行われ、研修の張りつめた雰囲気とは違ったなごやかな語らいの中、時間の経つのを忘れて、交流の輪が広がりました。


平成13年報恩講に思う
 平成13年11月23日恒例の浄泉寺報恩講が、今年も晴天に恵まれて厳修されました。準備に約1ヶ月かけてつとめるこの法要、私はいつも今年こその思いがあります。
 そのひとつに『おみがき』があります。すべての仏具を文字通り、みがき直しするものです。本堂が大きくなり仏具の量も以前の4・5倍ほどになりました。時間にして30時間ほどを要します。
 これは報恩講をつとめる浄土真宗の寺すべてで行っていますが、それぞれ工夫をこらしている様です。出来るだけ手間をかけずに磨き上げる。しかし仲々思う様にはなりません。私もこれまで40年間、試行錯誤をくり返し今、納得が行く仕上がりになりました。
 私の仕事を見ていた方が「住職さん、ごくろうさん。一人ではもう限界です。おみがき隊でも作って、みんなでやりましょう」と言ってくれました。大変有難かったです。
 父がつとめた報恩講の準備を思い出しました。もう50年も前のことなので、比べることもどうかと思いましたが、寒い本堂で通丁の檀家のご婦人達が砂か粉の様なもので、おみがきをしていました。私が持ち込んだ磨き油がなじめなくて、彼女達の戸惑いと仕上がりに不満な私との葛藤があったのでした。そのお陰で立派な組織が出来、みなさんに喜ばれる報恩講の荘厳法要がつとめられると思っております。
 今回はじめてご参詣下さった方が「いい環境の寺ですね」と感想をのべられました。本当に有難くうれしかった。

 報の浄土の往生は
 おおからずとぞ あらわせる
 化土にうまるる衆生をば
 すくなからずと おしえたり
 (高僧和讃)


祖師前に御空殿!
 「かねてより予定をしていました、宗祖親鸞聖人様のご空殿が出来ましたので納めさせていただきます。浄泉寺のご荘厳は私の情熱です。」
 こう語る山形市篠仏光堂さん。彼との関りは20数年前、南郷の玉蓮寺でご縁をいただいて以来である。
 思えばこれまで彼を通して、ご門徒さんがお内仏を新しく入れたり修理した数は相当なものになるが、その都度彼ならではの心配りがなされていた。
 「食べさせてもらうだけでいいんです」と笑う中に、確固たる宗教心に裏打ちされた人生哲学がある様な気がする。
 それにしても、立派なご空殿である。ここから発信する光は、まさに無量寿・無量光である。
     南無阿弥陀佛
       南無阿弥陀佛
今年の重点事項
 1.本山研修への積極的な参加。
 2.従来本山のみで行われていた帰敬式を、門信徒のより一層の自覚高揚のため、別院や各菩提寺でも実施する。

 コラム●こしあぶら
 こしあぶらに出遭ったのは、平成6年5月29日の浄泉寺本堂落慶法要披露宴の時だった。
 当日、千葉仁一さんが午前2時起きして秋田県境まで行き採って来たものだった。天ぷらにして揚げたてを食べた。ほとんどの人があざやかな緑色と風味に、舌つづみをうちとりこになった。あの時から春山にこしあぶらを探すことになった。
 数年も経ずして近隣の山で出遭った。しかもそこはいつも行っていた山であった。
 仙台の東北別院で春を味わうメニューに、こしあぶらの天ぷらを出した。皆が歓声をあげた。早速、職員のひとりが辞典でこしあぶらをひいた。金漆とあり、うるし科だった。多分先人はその樹液を重要なものとして使っていたのかも知れない。現在は、春の彼岸にお墓にあげる、あのけずり花の木の芽だった。それにしても魅力ある春の贈り物である。
住職

 あ と が き
 1月3日朝、来迎寺さんの紹介で「浄土真宗のお経が聞きたい」というお客さんが見えられた。
 早速本堂に入っていただき、お話しをお聞きしますと、北陸金沢の出身で小学校を卒業し東京に出て以来、はたらき詰めで70歳を過ぎ、仕事をやめて夫婦で鳴子温泉に来て数日、急に思いたってタクシーをとばして来たとのこと。
 正信偈を一緒に勤めた。声は小さかったが、しっかりと勤めていた。終ってから経本を差しあげたら、いのちの還るところが確認出来ましたと、少し涙を光らせて丁重にあいさつをいただいた。
 すぐ戻ると言い、大雪になった道を待たせてあったタクシーで再び鳴子に帰った。
 名前も聞かなかったが、彼の生涯が少なくともこれから光明に満ちた日生活(ひぐらし)になることを確信した。
住職

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