発行者 浄泉寺住職 赤羽根 證信
浄泉寺住職 赤羽根 證信
煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我 煩悩に眼(まなこ)障(さえ)ぎられ、仏の光明を見ることが出来ずとも、 如来の大悲は倦ることなく、 常に我を照らしたまう(正信念仏偈)
2005 年(平成 17 年)を迎え、ご門徒の皆様とともに、この 1 年充実したすばらしい年になりますよう、念じる次第でございます。
京都清水寺管長さんによる、年末恒例の、この 1 年を振り返っての 1 文字を「災」と書き表しました。
本当に天災・人災の多い 1 年でございました。
平成 14 年に起こった宮城県北での地震災害から未だいえていない昨年、新潟県中越地方を襲った地震では、私達真宗大谷派の 200 ヶ寺を越える寺が、災害にまき込まれました。このことは、中越の人々のほとんどが何らかの被害に遇われていることだろうと思っております。
浄泉寺といたしましても、早速お見舞を申し上げたところであります。
そんな中にも、多少難を逃れたご寺院は避難所として寺の堂宇を開放、積極的に協力なさったと聞いております。
折りしも災害時期は 11 月の報恩講シーズンと重なり、寺に避難している人々が本堂に集まり、朝夕ほとけ様に詣り勤行して、ご法縁にお会い出来ている、災を転じて生きるエネルギーにしているという感想を聞かせていただいた時、宗祖親鸞聖人が様々な力による弾圧により、僧籍を剥奪され越後に流罪の身になって、なお、それを逆縁として深いご縁とよろこび、北陸の人々を力強く教化され、辺地群萌を恵む念佛とされたことによるものと思いを強くしたことでした。
また、海外に目を転ずれば、インド、インドネシアなどの地震と大津波による被害は空前の大惨事となり、未だその復旧に立ち上るメドさえついていない様子を見るにつけ、明日はわが身と思い、自然災害への備えと、人災に対する思いを、心して参ろうと思います。
寺報発行して 10 年目になります本年、本山参詣を計画しております。前回までとは少し内容を変更して、より充実した企画を考えております。
ご門徒皆様のご協力とご支援をお願い申し上げます。
合掌
責任役員 赤間 栄夫
あけましておめでとうございます。ご門徒皆々様には輝かしい 2005 年の元旦をお迎えのこととお慶び申し上げます。
昨年を漢字ひと文字で表すと「災」という字になったそうですが、今年は楽しく明るい希望に満ちた年であって欲しいと願っております。
私達仙台組門徒会の上山研修の総勢 11 名一行は、親鸞聖人が修業したと伝えられている六角堂をお詣りしたあと、昨夜宿泊した旅館「飛騨詰所」に立ち寄り各自荷物を持参して、今日 2004 年 6 月 15 日から 6 月 17 日まで 2 泊 3 日の研修が行われる真宗大谷派の本山である東本願寺の同朋会館に徒歩で向いました。
(次回へつづく)
住職
毎年の報恩講シーズンのトップを切って、 10 月 15 日から 17 日にかけ、東北別院の報恩講が厳修されます。今回も 17 日のご満座に貸切バスにて団体参詣をいたしております。
午前 10 時勤行ののち長崎からの講師によるご法話をいただきました「ただ念佛申す」ということを幾度となく聞かせていただいていても、そのたびに新鮮に感じることは、私自身の「身」の問題となっていないと知らされます。
別院での昼食ののち、福島まで足を延ばし、奥会津の「庄助の宿瀧の湯旅館」で、ゆっくりとした時の流れと、ご門徒のみなさんの、思いおもいの人生のひだをいといながらの、なごやかな深みのある語らいを味わいながら、過ごして参りました。
毎月 28 日の集いも、より楽しみになり、老いの身のさびしさも納得のゆく日暮が感じとれる最近になりました、と申されるご門徒さんにささえられ、これからの寺運営に望んで参りたいと思っております。
山形県最上町 佐藤久之助
11 月 23 日、岩出山町、浄泉寺様の報恩講に参詣する機会をいただきました。 私の祖母の妹タカエおばさんが現住職の母上という関係であり、山形県最上町応住寺(真宗大谷派)の総代を務めておりますので、以前から「よそ様の報恩講にも参詣して菩提寺の報恩講のあり方を学びたい」との思いがありました。 丁度、平成 17 年に祖母とタカエおばさんの十三回忌の相談や家業のことなど話してるうち報恩講の話題となり、是非にと思ってお詣りいたしました。 本堂には、いっぱいの参詣の人達で、お寺さん方も 10 人以上でお経は声いっぱいに張り上げ、すばらしい音声でした。初めてで感動いたしました。 ご法話も、やさしい言葉でわかり易く、会場ではメモを取っている人もおられました。 私共の寺の報恩講は、門徒一人ひとりが思いおもいにご馳走を作り持参して、交換しながら食べ、住職さんと参加者全員でお経を唱えるだけですので、あらためて、来て良かったと思いました。 また、 12 月 27 日には、わが家の「お内仏のおとりこし」にも来ていただき、久しぶりに家族で報恩講を勤めさせていただきました。本当にありがとうございました。
住職
昨年の秋、「杉ヒラタケ」の毒のニュースが話題となった。
こともあろうに、杉かのか(杉ヒラタケ)の毒が人の命を奪うということである。そんなバカな話題が広がり、毒性の検査までにおよんだ。結果、問題ありということである。
私は昨秋も何度か食べた。茹で上げたものを水気をとり油いため、塩、コショーそしてピーマンなどと合わせたものや、煮付けにして、あのサキサキした食感と独特な風味は格別である。ブナの木にも生えるが、私は杉かのかの方を選ぶ。
最近、私達の体は毒性に対する免疫力が薄くなってはいないだろうか。除菌、除菌と他を排除することによる安全指向優先のため、内側から弱ってはいないだろうか。
三十年ほど前、鬼首、洞雲寺の前住職に招かれた時に「ツキヨダケ」(毒きのこ)を茶うけに出された。彼はそれをうまそうに食べていた。私はさすがに食べられなかったが彼の独特な免疫力なのだろう。
今年もまた、春山の到来が待ち遠しい。自然の恵をいただきながら自然との共生というものを、今更ながら考えさせられる話題である。
住職
1 月 2 日、年末から楽しみにしていた、NHKスペシャル「新シルクロード」を見る。 シルクロード、敦煌に行くと人生観が変わるようだ。知人の言葉に強く動かされ「平成 11 年 6 月に思い切って尋ねてみよう」と旅の企画を作った平成 9 年、初めての海外旅行を浄土教のルーツを尋ねて中国大原市玄中寺に参詣しているので、今回は、ひたすらシルクロードということになった。 北京・西安を経由して、西域、新コウウィグル自治区最大の都市ウルムチに夜 10 時到着。しかし未だ夕方の様な雰囲気。翌朝市内を散策、バザールの中は多民族が混在して異国の匂いに溢れている。 市内博物館に入り 3000 年前の楼蘭の美少女のミイラに出遇う。身長は 1 メートル 70 位と大きく、顔立は東洋の顔ではなかった。どこから来たのだろうこの人達は。 午後、気温 40 度の砂漠の中の真っ直ぐなハイウェーを、トルファンに向け車で走る。途中数知れぬ風車(風力発電)がむしろ異様に感じる。西遊記で名高い火エン山、そして、砂漠の中のオアシスに生きる人々・・。 西暦 600 年頃、西安から仏典を求めてインドをめざした玄奘三藏が 2 ヶ月滞在した高昌故城、ベゼクリクチ仏洞などを訪れた後列車で敦煌に入る。夢にまで見た莫高窟、今未だ調査中ではあるが 500 を越える窟が約 2 キロにわたって大小さまざまな形で並んでいる。 その中に、数多くの仏像、壁画、教典などがあり、いろいろな人々が千年にわたって伝え残されたものばかりである。 そこから中国大陸を経て日本に伝えられた仏教が又新しい発見となって歴史に加えられる。 あの時に出遇った莫高窟の仏たちと、シルクロードに生きる人々への思いは今も鮮やかであり、ふたたび、あの感動に浸れる心を抑えきれないでいる。
新年に行う修正会のお斎(とき)に、お供えの餅がテーブルをにぎわした。 12 月 30 日に供えたものでガチンガチンになっている。 2 日ほど前に水に浸けて置き出来るだけ小さく切り、フライパンに入れ弱火で加熱すると、つきたてのような餅となる。お雑煮と、きな粉餅にして出す。 水を取り替えながら保存すると 1 ヶ月位は大丈夫。この手法は母からの伝授である。
一周忌 | 平成16年 | 三回忌 | 平成15年 | 七回忌 | 平成11年 |
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十三回忌 | 平成 5 年 | 十七回忌 | 平成元年 | 二十三回忌 | 昭和58年 |
二十七回忌 | 昭和54年 | 三十三回忌 | 昭和48年 | 三十七回忌 | 昭和44年 |
五十回忌 | 昭和31年 | 百回忌 | 明治40年 |
1 月 16 日、修正会を勤めた午前 10 時、 15 名ばかりで正信偈を勤行する。鬼首からの参詣が座を賑わせながら本堂でのお茶となる。午後 1 時からは古川成願寺の修正会で、 30 名ほどの人々が集り、正信偈のお勤めと法話、新年のお斎には、上のコラムにある「お供えの餅」がテーブルを賑わした。今年最初のコミュニケーションの場である。 今年は、浄泉寺寺報と浄泉寺護寺会会報が共に 10 号となる。寺と門信徒とを結ぶ架け橋、今流に言えばコミュニケーションツールとして、平成 8 年 3 月 15 日に生まれ 10 年目を迎える。毎回記事の掲載内容や語句の使用法などに悩みながらも発行し続けられた事に大きな喜びを感ずる。 これ偏に会員皆様のご支援の賜物と深く感謝し、これからも発行してゆく所存である。コミュニケーションのある寺として
宝池山浄泉寺 宮城県玉造郡岩出山町字浦小路113