宝池山浄泉寺寺報
 ◆平成 20 年 2 月 10 日(第 13 号)

発行者 浄泉寺住職 赤羽根 證信

  1. 世の中安穏なれ 佛法ひろまれ
  2. 比叡山と親鸞
  3. 今年の事業予定
  4. 東北別院報恩講参詣 山形温海温泉への旅
  5. 年回表
  6. コラム
  7. あとがき
  8. 会報一覧

世の中安穏なれ 佛法ひろまれ

浄泉寺住職  赤羽根 證信

2008 年(平成 20 年)の新年を迎え、ご門徒皆様には、ご健勝にてお過ごしのことと存じ、心よりおよろこび申し上げます。今年も皆様のご支援をいただきながら、充実した 1 年でありますよう、精進して参りたいと思っております。何卒よろしくお願い申し上げます。

最近の世相は私達が願っている平和で争いのない世界とは違い、人命軽視は極めて極悪に満ちており、その原因は貧困、民族問題、宗教などがもとであろうテロ、格差、差別など多岐にわたっており、誠に憂うべき現況であります。統計によれば、犯罪はむしろ減っているとのこと、しかしその内容の極悪ぶりはその比ではないとのことでした。

今世紀はじめ旅客機をのっとり数百人の乗客を巻き添えにして、ニューヨークセンタービルに突っ込み、数千人を犠牲にしたあの 9・11 事件を実行した人達はどの様な感化を受け、どの様な考えを信じていたか、根深い問題として未だ私達の脳裏に鮮明であり、その報復の繰り返しは底知れぬ闇をひきずっている思いがいたします。

   今ヤマサニ、我ガ国ノ必勝ヲ信ジ、
   オ前達ノ一命ヲ奉ゲルトキガキタ、
   オ前達ハ、生キナガラニシテ スデニ神デアル

太平洋戦争の末期、大日本帝国指導者は、この様に洗脳して前途ある有能な若者達を特攻隊として戦場に送った。指導者や師の教えを信ずることは大切なことであり、基本ではあります。 しかし本来宗教の願いの原点は世界平和であるはずです。平和であるべき存在の人間の身の、心の奥底には決してその願い通りではない様な気もします。その醜い思いが、平和を戦いとる行為となるものかも知れませんし世に聖戦という言葉はありえない事なのです。

   親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、
    よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
   いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし
                              (歎異抄)

信とは近視眼的になるのではなく拡角的な視野にたち融通にして無碍になることでしょう。 「ばらばらでいっしょを生きる」自然とともに共生する営みが今更ながら強く感じるのです。

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比叡山と親鸞

責任役員  赤間 栄夫

青蓮院にて天台座主慈円のもとで出家得度をした親鸞は比叡山に登って天台宗の教えを深く学びその奥義を極められました。

比叡山と呼んでおりますが正確には、比叡山延暦寺といい伝教大師最澄(767 〜 822)によって開かれたお寺で、桓武天皇が都を奈良から京都に移したとき京の鬼門にあたる比叡山に建立されたものです。延暦寺と言う建物はなく、中心は東塔と呼ばれている地域で、本堂である根本中堂、阿弥陀堂、大講堂・戒檀院、法華総持院東塔が中枢です。もう一つは西塔で、第 5 代の天台座主円珍が釈迦堂を建立したところでかの武蔵坊弁慶がおったところです。また東塔と西塔より北へ入った奥比叡に横川の地があります。

横川は東塔・西塔と異なり閑寂な修行地という色彩が濃く、ここに親鸞が住んでいた常行三昧堂があったと言われております。

▼恵信僧都源信
日本浄土教の父とも呼ばれるにふさわしい源信の不朽の作品「往生要集」は念仏を勧めるために、地獄と極楽浄土の情景を集大成し、地獄に落ちることの恐ろしさと浄土に生れることの素晴しさを明らかにしており、また「横川法話」は極めて簡潔な文章で念仏の尊さをたたえ、念仏をとなえることを勧めており後世に多大な影響を与えたものです。親鸞はこの源信を非常に尊敬し、インド以来浄土教を大成した自からの先達者として七高僧の一人として讃嘆しております。源信の流れをくむ横川の地で、不断念仏にいそしむ堂僧であった親鸞は、すでに最初から念仏との縁を有していたといえるのではないでしょうか。
▼僧兵という武装集団
当時の比叡山は、仏教界において一大権勢と大きな力を有し仏教総合大学のようなもので、仏教者たらんとする者は一度は比叡山に登り、真摯な修行・学問に励むべきであると考えられていたようです。
しかし、現実の比叡山は俗世の中の身分階級制度が平等であるべき僧侶の教団体制の中にそのまま持ち込まれて、ひたすら権門を誇るという状態だったのです。
例えば、天台座主という仏教界の最高地位も、平氏や源氏といったような世俗権力にバックアップされて争われていたのです。
また僧兵という武装集団を持ち何か事があるとこの僧兵が争い、他を威嚇し自分達の目的を達しようとするなど、およそ仏教とはいえないような状況だったと伝えられております。かの後白河法皇の「賀茂川の水と僧兵とは思い通りにはならない」という言葉も、以上のような状態を嘆いて発せられたのだろうと思います。
このような仏教の理想からほど遠い比叡山の状況に、真面目な修行者は絶望し、見切りをつけて山を降り、自からの道を探し求めたのです。その当時の偉大な仏教者達である法然(浄土宗)栄西(臨済宗)道元(曹洞宗)日蓮(日蓮宗)も皆、比叡山で修行した後に山を降りました。親鸞もまた同様の道をたどったのです。

「親鸞に学ぶ」より

▼一人ひとりの力
歴史はくり返すといわれますが戦後 62 年に亘り、一党独裁的政権により、隠し通してきた年金問題・防衛問題。医療(C型肝炎)問題など。国民皆さんの一票一票の集積により参議院議員の議席が逆転し、これまでの政・官・財による癒着が明るみになり溜りに溜った「膿(うみ)」が少しづつ出て来ております。一人ひとりの力は微力でもみんなが力を合わせれば悪しきを倒すことができます。日本の国の憲法は主権在民です。政治は皆さんの手で変えられるのです。お忘れございませんように。

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今年の事業予定

▼修正会
新らしい年の最初の行事、修正会は、毎年 1 月 16 日午前 10 時に行われます。当日は本堂に集り、正信偈同朋奉讃式を唱和して、「大根だき」を中心としたごちそうと「おとそ」をいただきながら懇親の集いを行います。鬼首方面からも初詣として参加、一年の始まりに相応しい華やいだ場です。午後 2 時には古川成願寺でも同じ様に修正会を実施しています。
▼正信偈のおつとめ
 昨年 6 月、護寺会総会の準備をしている折、役員さんの一人から「正信偈のおつとめの練習会をして欲しい」との申し出があり、とりあえず 1 ヶ月に 1 回のペースで実施することにし、毎月 10 日朝 6 時 30 分から浄泉寺本堂で実施しております。
はじめは 10 名足らずでスタートしましたが、6 ヶ月経過した現在は次第に軌道にのり、参加者も少しずつ増え、熱心さが声明にも表れています。
 一方古川成願寺の前身、古川説教所時代から 28 日講があり、「毎月 28 日、9 時 30 分」、本堂・境内を清掃、30 分ぐらいで仕上げ、「正信偈同朋奉讃式」を唱和の後、各自持参した一品料理で懇談、そこから生まれる様々な話題は寺運営、活動に大いに影響を与えています。そのひとつが昨年から行っている「門徒一泊研修」があります。今年は 2 月 17・18 日の1 泊 2 日、場所は鳴子観光ホテル、会費は1 万 5,000 円
テーマは「仏教者としての名告り」(出家と在家)を予定しております。ご参加申込みは住職まで
▼朝詣り
およそ 20 年ほど前から自然発生的に行う様になった朝詣りには 1 年を通じて午前 6 時 30 分、本堂に詣り、住職等とお茶を飲みながらの懇談が 1 時間ほど、寒風の中、毎日一人ひとりが様々な思いでお詣りする姿を拝見するにつけ継続の力のすごさを感じます。
▼帰敬式の実施
宗祖親鸞聖人 750 回ご遠忌の記念事業のひとつ、帰敬式実践活動が展開されていることを受け本年から帰敬式の授与を具体的に実施に向けて計画を進めて参りたいと思っています。基本的には本山(京都東本願寺)同朋会館で研修に参加して受式することが求められていますので、事前の研修を浄泉寺や成願寺で行い、そのうえで上山して受式という形を考えております。
又、鬼首のご門徒の方から本山参詣を企画して欲しいとの要望があり、6 月上旬を目処に実施を計画しようと思っております。
▼護寺会の定例総会
今年の浄泉寺護寺会の定例総会は 6 月 29 日午後 1 時より、行われます。総会に先立って読経の後、本堂左にある「倶会一處」の墓に参加者全員で焼香いたします。
この墓は無縁の方や、共同墳墓として納骨を希望する方が使用する墓で本堂新築の折に作られたものです。従って各家の墓には、無縁様の石碑は必要ありませんし本堂参詣の折に、この倶会一處の墓にお詣りいただくためのものです。何卒よろしくお願いいたします。
 

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東北別院報恩講参詣 山形温海温泉への旅

浄土真宗にとって最大の行事である報恩講が東北別院で 10 月 15 日を皮切りに行われますので、私達はその日程の最終日のご満座にお詣りをして午後から山形県北の米どころ庄内地方へと向いました。

鶴岡から温海温泉への途中バスを停め、絶景である日本海に沈む夕陽を眺めました。山形県にはすべての市町村に温泉があると聞いていますが、その中の一つである温海温泉は、すぐ近くに海があるのに山の自然いっぱいのところで、参加者の皆さんも和気あいあいの中、それぞれに懇談、懇親を深めておりました。

翌日再び日本海の海に出羽富士鳥海山が逆さに写る上天気の中酒田へ、豪商旧本間亭はさすがにすばらしく、山居倉庫、本間家菩提寺山門などを見学、かつての賑わいを彷彿させられました。その後出羽三山のひとつ羽黒山神社に詣り、山形を代表する最上川の流れを見ながら新庄から、途中道の駅「やな茶屋」にてあゆの塩焼きを家族への土産にと立ち寄り、鳴子を経て八時近く帰宅しました。

今回も、ご門徒皆さんのご協力があってすばらしい事業が出来ましたことを報告しながら、これからの寺の運営をよりしっかりとしたものにしたいと願っております。ありがとうございました。

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年回表(平成 20 年)

一周忌 平成 19 年 三回忌 平成 18 年 七回忌 平成 14 年
十三回忌 平成 8 年 十七回忌 平成 4 年 二十三回忌 昭和 61 年
二十七回忌 昭和 57 年 三十三回忌 昭和 51 年 三十七回忌 昭和 47 年
五十回忌 昭和 34 年 百回忌 明治 43 年

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コラム

今年を漢字一文字で表わすと「偽」と言うことになるそうだ.食品表示をめぐって様々な偽がにぎわした。

「うそも方便」という諺がある。泣いている子供をあやす時に、○○が来るよといって泣き止ませる。決して○○は来ないのだが、…「偽経」という経典がある。あたかも釋尊が説いた様な経文として用いられている。代表的なものに父母恩慈経、十王経などがあり、主に中国で作られたものらしい。往時、仏教を伝える手段として、死後の世界や前世の話など興味深いものであり、つい誘われてそこに留ると奈落の底に落ちることになる。

「偽」自身、うそですよとは言っていない。むしろ本当ですよと表示され、説いている。まさに、「方便」を通して真実に気づかせるためにある諺であり真実に出遇って欲しいという願いもあるのではないだろうか

住職

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あとがき

 かき根の 垣根の まがり角
 たき火だ たき火だ 落葉たき
 あたろうか、あたろうよ
 北風ピープー 吹いている

こんな童謡が昔話やおとぎ話の様な近頃。庭につもった落葉を集め、そっとたき火、ほんのりとした、暖かさあたたかさと、なつかしい焦げくささ、残り灰を集めて、寒さの中で芽を出している福寿草にかけ落葉の布団にした

氷が溶ければ水になる。これは科学、氷が溶ければ、春になる 春よ来い、早く来い、歩きはじめたみいちゃんが、赤い鼻緒のじょじょ履いて、おんもに出たいと待っている 地球温暖化は、人間の仕業の最たるものであろう。地球を人間だけのものにせず、共に生きる手段はないものか。

  春よ来い、早く来いと願いつつ

住職

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宝池山浄泉寺 宮城県大崎市岩出山字浦小路113