発行者 浄泉寺住職 赤羽根 證信
浄泉寺住職 赤羽根 證信
2008 年(平成 20 年)の新年を迎え、ご門徒皆様には、ご健勝にてお過ごしのことと存じ、心よりおよろこび申し上げます。今年も皆様のご支援をいただきながら、充実した 1 年でありますよう、精進して参りたいと思っております。何卒よろしくお願い申し上げます。
最近の世相は私達が願っている平和で争いのない世界とは違い、人命軽視は極めて極悪に満ちており、その原因は貧困、民族問題、宗教などがもとであろうテロ、格差、差別など多岐にわたっており、誠に憂うべき現況であります。統計によれば、犯罪はむしろ減っているとのこと、しかしその内容の極悪ぶりはその比ではないとのことでした。
今世紀はじめ旅客機をのっとり数百人の乗客を巻き添えにして、ニューヨークセンタービルに突っ込み、数千人を犠牲にしたあの 9・11 事件を実行した人達はどの様な感化を受け、どの様な考えを信じていたか、根深い問題として未だ私達の脳裏に鮮明であり、その報復の繰り返しは底知れぬ闇をひきずっている思いがいたします。
今ヤマサニ、我ガ国ノ必勝ヲ信ジ、 オ前達ノ一命ヲ奉ゲルトキガキタ、 オ前達ハ、生キナガラニシテ スデニ神デアル
太平洋戦争の末期、大日本帝国指導者は、この様に洗脳して前途ある有能な若者達を特攻隊として戦場に送った。指導者や師の教えを信ずることは大切なことであり、基本ではあります。 しかし本来宗教の願いの原点は世界平和であるはずです。平和であるべき存在の人間の身の、心の奥底には決してその願い通りではない様な気もします。その醜い思いが、平和を戦いとる行為となるものかも知れませんし世に聖戦という言葉はありえない事なのです。
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、 よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。 いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし (歎異抄)
信とは近視眼的になるのではなく拡角的な視野にたち融通にして無碍になることでしょう。 「ばらばらでいっしょを生きる」自然とともに共生する営みが今更ながら強く感じるのです。
責任役員 赤間 栄夫
青蓮院にて天台座主慈円のもとで出家得度をした親鸞は比叡山に登って天台宗の教えを深く学びその奥義を極められました。
比叡山と呼んでおりますが正確には、比叡山延暦寺といい伝教大師最澄(767 〜 822)によって開かれたお寺で、桓武天皇が都を奈良から京都に移したとき京の鬼門にあたる比叡山に建立されたものです。延暦寺と言う建物はなく、中心は東塔と呼ばれている地域で、本堂である根本中堂、阿弥陀堂、大講堂・戒檀院、法華総持院東塔が中枢です。もう一つは西塔で、第 5 代の天台座主円珍が釈迦堂を建立したところでかの武蔵坊弁慶がおったところです。また東塔と西塔より北へ入った奥比叡に横川の地があります。
横川は東塔・西塔と異なり閑寂な修行地という色彩が濃く、ここに親鸞が住んでいた常行三昧堂があったと言われております。
「親鸞に学ぶ」より
浄土真宗にとって最大の行事である報恩講が東北別院で 10 月 15 日を皮切りに行われますので、私達はその日程の最終日のご満座にお詣りをして午後から山形県北の米どころ庄内地方へと向いました。
鶴岡から温海温泉への途中バスを停め、絶景である日本海に沈む夕陽を眺めました。山形県にはすべての市町村に温泉があると聞いていますが、その中の一つである温海温泉は、すぐ近くに海があるのに山の自然いっぱいのところで、参加者の皆さんも和気あいあいの中、それぞれに懇談、懇親を深めておりました。
翌日再び日本海の海に出羽富士鳥海山が逆さに写る上天気の中酒田へ、豪商旧本間亭はさすがにすばらしく、山居倉庫、本間家菩提寺山門などを見学、かつての賑わいを彷彿させられました。その後出羽三山のひとつ羽黒山神社に詣り、山形を代表する最上川の流れを見ながら新庄から、途中道の駅「やな茶屋」にてあゆの塩焼きを家族への土産にと立ち寄り、鳴子を経て八時近く帰宅しました。
今回も、ご門徒皆さんのご協力があってすばらしい事業が出来ましたことを報告しながら、これからの寺の運営をよりしっかりとしたものにしたいと願っております。ありがとうございました。
一周忌 | 平成 19 年 | 三回忌 | 平成 18 年 | 七回忌 | 平成 14 年 |
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十三回忌 | 平成 8 年 | 十七回忌 | 平成 4 年 | 二十三回忌 | 昭和 61 年 |
二十七回忌 | 昭和 57 年 | 三十三回忌 | 昭和 51 年 | 三十七回忌 | 昭和 47 年 |
五十回忌 | 昭和 34 年 | 百回忌 | 明治 43 年 |
今年を漢字一文字で表わすと「偽」と言うことになるそうだ.食品表示をめぐって様々な偽がにぎわした。
「うそも方便」という諺がある。泣いている子供をあやす時に、○○が来るよといって泣き止ませる。決して○○は来ないのだが、…「偽経」という経典がある。あたかも釋尊が説いた様な経文として用いられている。代表的なものに父母恩慈経、十王経などがあり、主に中国で作られたものらしい。往時、仏教を伝える手段として、死後の世界や前世の話など興味深いものであり、つい誘われてそこに留ると奈落の底に落ちることになる。
「偽」自身、うそですよとは言っていない。むしろ本当ですよと表示され、説いている。まさに、「方便」を通して真実に気づかせるためにある諺であり真実に出遇って欲しいという願いもあるのではないだろうか
住職
かき根の 垣根の まがり角 たき火だ たき火だ 落葉たき あたろうか、あたろうよ 北風ピープー 吹いている
こんな童謡が昔話やおとぎ話の様な近頃。庭につもった落葉を集め、そっとたき火、ほんのりとした、暖かさあたたかさと、なつかしい焦げくささ、残り灰を集めて、寒さの中で芽を出している福寿草にかけ落葉の布団にした
氷が溶ければ水になる。これは科学、氷が溶ければ、春になる 春よ来い、早く来い、歩きはじめたみいちゃんが、赤い鼻緒のじょじょ履いて、おんもに出たいと待っている 地球温暖化は、人間の仕業の最たるものであろう。地球を人間だけのものにせず、共に生きる手段はないものか。
春よ来い、早く来いと願いつつ
住職
宝池山浄泉寺 宮城県大崎市岩出山字浦小路113