発行者 浄泉寺護寺会会長 北村 明
護寺会会長 北村 明
ご門徒の皆様には、浄泉寺護寺会、運営のため、ご協力をいただきまして誠に有難く、心より感謝申し上げます。
去る 6 月 26 日、護寺会総会が開かれました折、住職さんより宗祖親鸞聖人 750 回ご遠忌記念事業として宗祖のご真影様のご影堂と阿弥陀堂、そして大門の修復工事と東北別院の改築工事などを実施するにあたり、ご門徒みなさまからのご懇志のご依頼についてお話がありました。
私達宗門の本山であります京都東本願寺は幕末の内乱で焼失し、そののち、全国ご門徒の願により、明治十五年頃より十数年を経て建設され現在の堂宇が完成世界最大の木造建築であると聞きおよんでおります。
私も過去、幾度となく本山に参詣いたしましたが、明治の先人の苦労が伝わって来て、感慨無量なものを感じております。
「今、いのちがあなたを生きている」の言葉は、平成 23 年に厳修される、宗祖親鸞聖人 750 回ご遠忌法要のテーマとして発せられ願われたと、同朋新聞・ 7 月号にその内容とともに紹介されておりますので是非ごらんいただき、さらなるご協力・ご支援を切にお願い申し上げます。
私達の菩提寺であります浄泉寺の環境も皆様のお陰で着々と整い、なごやかな雰囲気の中、毎年恒例となりましたお盆の万灯篭、 11 月 23 日の報恩講などにも町内はもとより、古川や鬼首などからも大勢の人々が参詣に見えられておりますことは、大変有難いことと思っております。
今、私達が生きている時代は物質的には豊かになった様にも思えますが、反面殺伐とした事件が連日の様に報じられ、心の闇が充満し思いもよらぬ出来事が多くなっている感じがいたします。
今こそ、いのちの尊さと生きる目標を本願念佛の教えにたずね、お互の心が交い合う集いの場として、より充実した事業を進めて参りたいと願っております。
何卒、皆様のより一層のご支援をお願い申し上げます。
合掌
責任役員 赤間 栄夫
上山研修に参加される方に幾許かの参考になればと思い掲載いたしましたが、今回で終回といたします。ありがとうございました。
明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐のふかぬものかわ親鸞聖人が 9 才のときに詠んだ歌です。その日その日を精一杯生きましょうと教えているのではないでしょうか。
去る 6 月 26 日(日)・ 6 月の最終の日曜日は毎年浄泉寺護寺会の総会の日と決っております。午後一時から本堂において総会が開催されました。
開会に先きだち皆さんで正信念佛偈を唱え、境内に建立されている「倶会一處」にお詣りをいたしました。議長には東川原町地区の庄司寿夫さんが選出され、議長のあいさつのあと総会次第により審議がすすめられました。皆様のご協力により、審議事項は満場一致で原案通り承認されました。ありがとうございました。
標題の件につきましては、浄泉寺寺報「倶会一處」平成 16 年 1 月 15 日発行において、記念事業である、真宗本廟両堂(御影堂・阿弥陀堂及び御影堂門)の修復工事の概要そして東北別院整備事業の計画についてお知らせをしておったところですが、この度各寺院に対する懇志金の御依頼額が提示されました。それによりますと、真宗本廟両堂について浄泉寺の懇志金は 756,000 円で、東北別院の工事については、 284,000 円です。したがって両方を併せますと懇志金の総額は 1,040,900 円となります。この金額を檀家総数で割り出しますと、一檀家あたり、約 5,230 円という金額になります。この懇志金の集金方法は、護寺会費を集金のときに 1,000 円をいただきます。護寺会費の集金は年 2 回ですので、懇志金は、年 2,000 円の納入となり、今年度からむこう 3 年間納入していただくことになります。
この懇志金の納入につきましても総会においてご承認をいただいておりますので、出費多端の折とは存じますが何卒よろしくお願い申し上げます
今年もお盆の季節になりました。恒例の行事のご案内をいたします。
一、造花は、絶対にあげないで下さい。 一、お供物は、お参りがすんだら必ずお持ち帰り下さい。 一、茶わん、カン類など、燃えないゴミは、必ずお持ち帰り下さい。 一、ゴミ置き場には、紙、樹木、生花以外は捨てないで下さい。
以上
浄泉寺護寺会ご門徒皆さんのご協力を、心よりお願い致します。
6 月 19 日、恒例の本山参詣には岩出山 11 名、古川 13 名で、いつもながらの上天気、和気あいあいのうちに古川から新幹線で一路京都へ。午後 1 時、直ちに本山参詣、山門をくぐり阿弥陀堂からご影堂へ内部の説明を受けたのち、さや堂ですっぽり覆われて屋根瓦が外された、大修理中の大屋根の現場近くまで案内されました。明治以来の先輩達の建設の様子が拝見出来、貴重な体験をいたしました。これも、仏縁と思っています。
午後 5 時すぎ広島駅につき夕食の席で互を紹介などして 1 日目の夜をすごしました。
翌日、長い間念願であった、世界平和のシンボル原爆ドームと記念館を見学、あらためて人と人が殺し合う戦争への怒りとおろかさと無念さを、そして声も出ぬほどの悲しみの涙を流し終戦から 60 年を経て風化され様としている非戦への誓いに、思いをあらたにいたしました。午後宮島に渡り、厳島神社に廻り、千年の時の流れに思いを馳せ、福山からしまなみ海道をわたり、四国道後温泉での懇親会には、胸襟を開き打とけ夜の更けるのも忘れ語り合いました。
西国の伊予かすり会館、瀬戸大橋、倉敷の明治時代の香りただよう美観地区を見物。岡山駅午後 3 時の新幹線に乗車、東京、古川とその日のうちに帰れる便利さと、かかえ切れないほどのお土産と、これからの仲間作りのみやげ話をどっさり仕入れ、全員無事帰郷いたし、― ああ、やっぱりわが家が一番いいナ ― と、留守居の方々への感謝ひとしおでした。
合掌
広島に、世界初の原爆が投下され、五千度とも、七千度ともいわれる光熱が、一瞬にして広島を焦土と化す、焦熱地獄のさま。
75 年間は草木も生えないだろうとの話しもあった。しかし数年後広島に夾竹桃の赤い花が咲いた、それは「力の暴力には決して負けない」意志の表われだと私は思う。インド原産で樹液は有毒であると広辞苑に記してあった。この花を手に、若い人達に生きる勇気を与えるためにプロ野球チーム広島カープ赤ヘル軍団が誕生、広島市の市花なのだと知った。
この地に、はじめて訪れた夏至の空に、 8 月 6 日のある日を思い出させる様な真赤な夕陽が、おそろしいほどゆっくり沈んで行く。
被爆から 60 年、原爆ゆるすまじ。聖戦などあろうはずがないことの言動をいのちのかぎり訴え続ける義務があるのではないだろうか。
住職
宝池山浄泉寺 宮城県玉造郡岩出山町字浦小路113