宝池山浄泉寺護寺会報
 ◆平成 20 年 7 月 20 日(第 13 号)

発行者 浄泉寺護寺会会長 岸 順幸

  1. 正信偈を唱えて
  2. 親鸞・比叡山を降りる
  3. 浄泉寺護寺会総会報告
  4. 正信偈学習の集い
  5. お盆の行事について
  6. マナーを守って!
  7. 山号寺号額・賽銭箱の寄進
  8. 地震?ナマズは知っていた
  9. あとがき
  10. 会報一覧

正信偈を唱えて

護寺会会長  岸 順幸

 6 月 14 日午前 8 時 43 分ごろ、ものすごい勢いで地鳴りが起こり、地面を突き上げる様な大地震が襲って来た。一瞬・宮城県沖地震がとうとう来たなと思った…。揺れが収まってからテレビの画面を見ると栗駒山山麓を震源地として、阪神淡路大地震に匹敵する規模の大地震の震度を、繰返し放映されて居た。残念ながら栗駒山を中心に大災害となり、死亡者や行方不明者が多く出るなどの大惨事となりました。

 岩出山地域でも上野目小学校周辺が多くの被害を被り、その他の地域でも、被害が起こっており特にお墓の灯篭の倒壊被害が多く見受けられるなど、広範囲にわたる大地震でした。ここに、改めて被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

 また、未だに余震が続いておりますし、宮城県沖地震も 30 年以内に起こる確率が高いと云われております、万が一の地震時には冷静に行動できるなど、常に心の備えはもちたいものです。

 さて、浄泉寺護寺会活動も 6 月より新年度となりました。ご門徒皆様方には昨年中には積極的な活動をいただき、お陰さまにて 19 年度の護寺会事業も滞りなく終えることが出来ましたこと、改めて心より感謝を申し上げます。

 また、6 月 29 日には、多くのご門徒皆様方の参会をいただき、 20 年度の総会を開催いたしました。議案は、19 年度の決算・並びに、20 年度の事業計画、収支予算について審議を得て、議案の賛同をいただき、新年度事業として決定いたしました。

 終了後、住職の計らいで懇親の場を設けていただきました。常々、お寺は浄土真宗の教えを伝える場でもあり、ご門徒皆様方の集い・拠り所として出来れば…と思っておりましたが、このたびは、ご門徒皆様との集い時の語らいの場として、持って来いの雰囲気でした。

 さらに、20 年度の事業計画の( 4 項)の中に「正信偈学習の集い」を加えさせていただきました。これは、昨年の護寺会報の中で紹介いたしましたが、ご門徒の方の提案で、毎月 10 日の午前 6 時30 分から、皆で「おつとめ」をすることになり、昨年の 6 月から 1 年間行って参りましたが、本年度から護寺会活動として事業計画の中に加えることに致しました。住職の読誦に合わせて唱える「正信偈学習の集い」を拠り所として、気軽に多くのご門徒皆様方のご参加をいただければ幸いです。

最後に、本年も一層のお力添えをお願い申し上げると共に、ご門徒皆様方の一層のご健勝をご祈念申し上げ挨拶といたします。

▲メニューへ

親鸞・比叡山を降りる

責任役員  赤間 栄夫

▼聖徳太子
 比叡山を降りた親鸞は京都の六角堂(頂法寺)に 100 日間こもり、そこで聖徳太子の夢告を得たといわれております。六角堂は聖徳太子の創健と伝えられ、本尊の救世観音は聖徳太子の化身と考えられていました。
 聖徳太子( 574 〜 622 )は日本仏教の父ともいわれ法隆寺・四天王寺等諸寺を建立し三経(法華経・勝鬘教・唯摩教)の義疏を講義し、十七条の憲法を制定したことはよく知られております。
 聖徳太子は日本で初めて仏教思想を深く理解した人であり、そのような聖徳太子が出家者ではなく、在家の人であったということもその後の日本仏教の有り方を暗示するものであったと言えるのではないでしょうか。聖徳太子が講じられたという三経は大乗仏教の中でも極めて在家的色彩の濃い経典です。
▼日本仏教の祖
 聖徳太子はその後日本仏教の祖として各宗各派を問わず厚い信仰の対象になりましたが、親鸞もまた聖徳太子を生涯深く尊敬して、「皇太子聖徳奉讃」という和讃を著し太子を讃仰しております。
 「大慈救世聖徳皇 父のごとくにおわします。大悲救世観世音 母のごとくにおわします」とこのように聖徳太子の創建にかかり、救世観音を本尊として奉ずる六角堂に親鸞が参籠したということも偶然ではなく、彼にとってはすでに心に期するものがあったのではなかったのかと思われます。
 親鸞が六角堂にこもり 95 日目の明け方に聖徳太子が現れ、文を持って親鸞の行くべき道を示されたので、それに導かれて 100 日の間、雨の日も風の日も吉水の法然のもとに通いつめたといわれております。
▼法然との出合い
 親鸞が六角堂に参籠し夢告を受けたことと、吉水の法然のもとを訪れたこととは密接な関連のあることで、重大な事実の表と裏の関係であると思います。その重大な事実とは、親鸞が清僧を放棄したということです。いうまでもなく仏教の僧侶は出家者であり、出家者は戒律を守りながら修行し身を清浄にすべきものであったからです。しかし当時の比叡山の状況は出家教団とは名ばかりで、腐敗堕落も甚だしく建前と現実とは大違いだったようです。
 後白河法皇の「かくすは上人、せぬは仏と仰せられけるとかや」という有名な言葉でもわかるように、一生不犯の清僧など珍しいほどで、比叡山で悶々とした生活を送っていた親鸞にとって、法然との出会いは決定的な意味をもっていたと思われます。
▼親鸞夢記
 「御伝鈔」では次のように伝えています。
 六角堂の救世菩薩が端正な立派な僧の姿を現わして親鸞に「行者が宿世の報いとして女犯をしようとも、私が美女の身となって犯されよう。一生の間よく仏道によって身を立派にして、臨終には引導して極楽に生ぜしめよう」と告げたということです。
 この菩薩が親鸞に告げた言葉としては、他に聖徳太子の廟窟偈といわれる偈であるという説もありますが、親鸞のひい孫である覚如は、御伝鈔の中で「建仁 3 年 4 月 5 日の夜寅の時、上人夢想の告げましましき」とおおせられ、現在高田専修寺に所蔵されている「親鸞夢記」のことを指しているものが有力と思われます。覚如はこの古い著作である「親鸞夢記」をよりどころとして、「御伝鈔」のこの部分の記事を書いたものでしょう。したがって今日では、聖徳太子の廟窟偈という説ではなく、「御伝鈔」に伝えられている言葉であったろうというのが学者の定説になっております。

「親鸞に学ぶ」より

▲メニューへ

浄泉寺護寺会総会報告

 「平成 20 年度浄泉寺護寺会総会が去る 6 月 29 日(日)午後 1 時から開かれました。

開会に先立ち参加者全員で正信会佛偈を唱和してのち、本堂北側にある「具会一處」の下で住職が読経、責任役員の赤間栄夫氏と会長の岸順幸氏が代表して焼香ののち、総会の開会となりました。

 岸会長の挨拶に続き、議長に内田政明氏(通丁)を選出、平成 19 年度の事業報告、収支決算報告、特別会計報告、監査報告があり承認、平成 20 年度事業計画案、収支予算案の審議が行われ、議案すべて満場一致で承認されました。

 総会閉会後参加者一同で懇親懇談の会が持たれ、和やかな雰囲気の中、住職さんから一人ひとりを紹介していただきました。初めての試みでしたが皆さんから好評を得て、特に新しく入会された方には、親しみやすいお寺だという感謝の言葉をいただきました。

▲メニューへ

正信偈学習の集い

 私達浄土真宗の教えは「弥陀の本願を信じ念仏申す」ことを願いとしています。

 およそ 20 数年前から毎朝本堂に参詣している方が、お経を覚えたいとの申し出があり、いろいろ検討して、昨年 6 月より行事として実施しております。

 継続は力なりと申しますとおり、先ず簡単なことから取り組むこととして、正信偈を唱和、同朋奉讃を習うことと致しました。

 時間は朝 6 時 30 分から、晨朝の勤行、御文拝読、感話、いつもの様にお茶をいただき、懇談と懇親、8 時前にはすべて終了ということにしました。

 今年度から護寺会の事業の一環として皆様からご支援をいただき、より充実した行事になります様お願い申し上げます。

▲メニューへ

お盆の行事について

 今年もお盆の季節になりました。恒例の行事のご案内をいたします。

▲メニューへ

マナーを守って!

 「お墓参り」のマナーが一部の方に未だ守られておりません。

 このマナーは「環境問題」を念頭に置いて定められたものですので是非お守り下さい。

一、造花は絶対にあげないで下さい。
一、お供物はお参りが済んだら必ずお持ち帰り下さい。
一、茶わん、カン類等、燃えないゴミは必ずお持ち帰り下さい。
一、ゴミ置き場には、紙、樹木、生花以外は捨てないで下さい。

▲メニューへ

山号寺号額・賽銭箱の寄進

▼山号寺号額の寄進
 古来、寺の多くは出家者の修行の道場として山に建設され、寺院の冠として、その山の名前を山号としました。天台宗の総本山である、京都比叡山延暦寺というように。
 しかし、浄土真宗は大衆庶民とともに暮らすことを旨とし本堂は聞法の道場として開かれております。そして町中に寺があっても山号寺号は伝統的に付けられております。
 私ども浄泉寺は山号を寶池山という名でありますが、その名告の由来はわかっていません。
 3 月中旬荒町の杉江利夫氏がお参りに見え、息子の 7 回忌でもあり、山号寺号の額を寄付したいとのお話しがあり、7 月上旬立派に取り付けられました。
 杉江さんは愛知県の出身で熱心な真宗門徒の家に生まれ育ちました。彼の地は浄土真宗の盛んなところで幼少より寺詣りをかかさず、岩出山に暮らして 60 年余りこの地の人々にお世話になり、その恩返しに特に心の主柱である寺に額を揚げようと思われたそうです。寺としても荘厳に欠かせないものなので、有難く寄進いただくことといたしました。心より感謝申し上げます。
▼ 賽銭箱の寄進
 又、本堂に新たに賽銭箱が寄進されました。
 賽銭箱と申せば寺や神社には必ずあるものです。浄泉寺の賽銭箱は明治 9 年の岩出山大火時に作った「当山再建志」の柱がけ賽銭箱以来、大正 5 年、前本堂建設の折に記念に作られた賽銭箱が昭和 56 年突然無くなり、その後本町小松善男さんが寄附、それも平成 6 年に無くなり、しばらく明治時代の賽銭箱が使われておりました。
 そして本年 5 月、小松善男さんの弟義次さんが退職記念として立派な賽銭箱を寄進されました。 誠に有難うございます。

(住職記)

▲メニューへ

地震?ナマズは知っていた

 6 月 14 日の地震発生時およそ5秒ほど前、普段ほとんど吠えたことのないわが家の老犬がうなり声を上げ吠えた。お前もいよいよ死ぬのかと一瞬思ったとたん、グラグラと 6・5 …

 うわさによると、それより数日前、蛭沢川で大ナマズが 3 匹サデ網に入ったという。ナマズは昔は沢山いたが、現在は小魚しか居ないと思っていたが 40 pもある大物が入ったことで不吉な予感。口々に地震でも起きなきゃいいがと気持ちが悪くなり、田んぼのあぜに放流したという。

 科学者が様々なデータと研究を重ねて、未だ解明できずにいるだろう自然界。人間の能力など知れたものと知らされた。

 災害は忘れた頃にやって来る。おのおの方ご油断めさるな!

▲メニューへ

あとがき

 今「デスティネーションキャンペーン(DC)」という言葉をよく耳にする。インターネット上の辞書といわれるフリー百科事典『ウィキペディア』によると、「JRグループと、指定された自治体、地元の観光事業者等が協働で実施する大型観光キャンペーンのこと」とある。平成 20 年 10 月から 12 月末まで宮城県が対象となり、メインテーマは「美味(うま)し国 伊達な旅」である。

 ガソリン代や諸物価が高騰している折、どれほどの人々が旅行経費を捻出して当地を訪れ、その経済効果を生み出してくれるのか、一応の期待はしてみたいところである。

 さて、このDestinationという意味は「目的地」・「行き先」というものらしい。Campaignとの組み合わせは造語であるという。

 我が浄泉寺門信徒のデスティネーションはいずこ……?

(大坂 記)

▲メニューへ

宝池山浄泉寺 宮城県大崎市岩出山字浦小路113