発行者 浄泉寺護寺会会長 岸 順幸
護寺会会長 岸 順幸
暑さ寒さも彼岸まで……と言われている季節も、今年の春は季節外れの寒さが続き・さくら・の開花も遅くなり、4月下旬にやっと桜花爛漫となり、楽しい連休になりました。
さて、今年も護寺会事業の新年度となる時期になりました。ご門徒の皆様方には、昨年中に護寺会事業の運営・活動にご協力いただき、お蔭さまで21年度事業も無事に過ごすことができました。改めて心より感謝申しあげます。
6月27日には、多くのご門徒皆様の参会をいただき、22年度の総会を開催いたしました。議案は3件で、21年度事業決算・22年度の事業計画・収支予算と、昨年から空席になっている監事の審議を行い、議案3件の賛同をいただき、新年度事業は原案のとおり決定いたしました。
今年もまた、ご門徒皆様方のご協力をいただき、22年度事業のスタートとなります。その中で、ご門徒の方から提案されて始めた「正信偈勤行の集い」も、今年で満3年となりました。正信偈・念仏・和讃など文章の拝読を、皆なで「おつとめ」を行ない、終わってからお茶を頂き・おしゃべり・をしながら、集いの場になっております。前任会長の思案であった「お互いの心が交い合う集いの場」を是非つくりたい……と云われておりましたが、「正信偈勤行の集い」こそ、ご門徒の方々の集いの場が出来たようです。
また、住職が昭和34年に住職になられてから、平成21年で、50周年の「年」を迎えられ、本山においてお祝いを戴いてまいりました。
50年と申しますと半世紀であり、一口に50年と申しますが、その間にはいろいろなことがあったろうと思います。このたび、50周年のお祝いをいただいたことは、護寺会会員として心より喜びであります。本当におめでとうございます。どうぞ、お身体を大切になされ、これからもますます元気で、私ども門徒をご指導くださいますようお願い申しあげます。このたび改めて、総会終了後に浄泉寺護寺会としてご門徒皆様でお祝い申し上げた次第です。
宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要は、あと1年となりました。
是非、来年の4月に宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要の折には、ご門徒皆様方と共に上山参拝に参加したいものです。
最後に、本年も一層のお力添えをお願いし、ご門徒皆様方のご健勝をご祈念申し上げ挨拶といたします。
合 掌
責任役員 赤間 栄夫
専修念仏はただ一行のみで救われるという易行性が守旧派の危機感をあおるということになり、南都興福寺は、解脱房貞慶(1155〜1213)に9ヶ条におよぶ起訴状を起草させて、朝廷に専修念仏の禁圧と法然とその門弟の処罰を強く迫ったのです。
彼は法相教学の研鑽に尽力し学問にも奥義を極めた学僧であり、学徳兼備の高僧として名高い人でした。この貞慶が専修念仏の偏執のはなはだしい点を9つに分けて鋭く批判しました。次にこの奏状を紹介します
この奏状を受けた朝廷は、専修念仏に対する非難はひとえに門弟の浅知恵から起きたもので、法然の本意ではないというものでしたので興福寺はこの返答に憤慨し、特にその頃偏執がはなはだしいといわれた一念義(ただ一遍の念仏で救われるとする)の行空、多念義(念仏が多ければ多いほどよいとする)の遵西の2人の処罰を要求してきました。
朝廷はやむを得ず罪状を調査して、この問題は結局、法然が行空を門弟から排斥するということで決着し、法然には累がおよばないことになりました。これには九条良経や兼実など朝廷内の専修念仏の信奉者の尽力があったと考えられます。
しかしこの決定の直後に九条良経が急死して建永元年(1206)となり摂政には近衛家実がついて情勢が一変し興福寺側は、なおも朝廷に圧力をかけ続けました。
安楽房と住蓮房
安楽房と住蓮房はともに声明の大家でした。その声を聞くと特に女性たちはこの世のものとも思えず、うっとりとしたといわれています。おまけに安楽は大変な美男子で朝廷に招かれ、女官たちにもてはやされたそうです。ちょうど現在のアイドル歌手のような趣きだったのではないでしょうか。
美声と美貌がわざわいをしてスキャンダルが勃発し、ついには念仏停止の勅が下ることになります。
「親鸞の教えに学ぶ」より
平成22年度浄泉寺護寺会総会が去る6月27日(日)午後1時から開催されました。 開会に先立ち、参加者全員で正信念佛偈を唱和し、本堂北側にある「倶会一處」の前で赤羽根住職の読経のもと、赤間栄夫責任役員と岸順幸会長が代表して焼香の後、総会の開会となりました。 蘇武則行理事の司会のもと、会長の挨拶に続き、議長に庄司寿夫氏(東川原町)を選出、平成21年度の事業報告等の審議が行われ、すべて満場一致で承認されました。
今年の懇親会は「ご住職在職五十周年を祝う会」を兼ねて行われ、会員相互の親睦をはかりました。
赤羽根證信師が住職に就任されたのは昭和34年10月。父親である隨證師の命終(同年5月)により22歳で住職としての重責を担うことになりました。
「その時は急な出来事で何をして良いのやら途方に暮れたものでした。」と振り返る證信師は、「親鸞の教えのもと、宗門・寺の在り方、門徒とのコミュニケーション」について意を注がれ、各事業実施に取り組まれて参りました。
平成5年から19年までの15年間は仙台教区会議員として、同14年から19年までの6年間は仙台教区仙台組組長として、宗門発展のため手腕を発揮されました。(注・「仙台教区」とは、岩手、宮城、福島3県を統括する組織)
また、寺の運営に関する事業も多岐にわたり、親鸞教室の開催、浄泉寺・成願寺本堂の建設、本山と東北別院諸行事への団参と旅行、寺報・護寺会会報の定期発刊、修正会・万灯篭会開催の定例化等の新規事業に挑戦し続け、現在の浄泉寺運営の基礎を築かれました。
この度、これらの功績が認められ、本山から表彰状と記念品の「畳袈裟」を授与されました。
これを受けて、浄泉寺護寺会からも感謝の意を表して「褒状」と「記念品」を贈呈することを決し、総会の席上赤間責役により授与されました。同時に、本山から授与された記念品も岸会長から総会参会の皆さんに披露されました。
これからも、我々門信徒へのご指導と、證信師の更なるご発展ご活躍を、心から祈念申し上げます。
今年もお盆の季節になりました。恒例の行事のご案内をいたします。
仙台組重点事業のひとつである本廟奉仕が開かれました。
廟とはお墓のことであり、本廟は京都東本願寺(本山)で、宗祖親鸞聖人の身元です。その本山にある同朋会館(研修センター)では、全国各地からほとんど毎日100名を超える人々がさまざまなテーマで寝食をともにしながら学びあう場所です。
今年は6月19日から21日(2泊3日)に実施いたしました。テーマは「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということで、男性ばかり8名と少なく、むしろじっくりと落ち着いた研修となりました。
参加した一人が「普段の生活とはちょっと違う雰囲気の中、あらためて自分を教えに問い直すと、わかっちゃいるけどやめられないという今の私が浮き彫りにされることばかりです。宗祖に遇うということは本当の自分に遇うことだと思っております。」と話されておりました。
最終日は午前10時からおかみそり(帰敬式)を受け法名を名告り「新たな真宗門徒として歩み出してください」と会館の職員に見送られて帰路につきました。
いよいよ来年、平成23年3月から5月までの3カ月間をかけて、私ども浄土真宗の宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要が執り行われます。
宗祖は9歳で出家得度、29歳まで20年間比叡山(天台宗)での修行求道の末、人生苦悩の闇を抱え聖徳太子が眼立した六角堂に自分の往く道を問い、浄土宗を興した法然上人に出遭い「建仁辛酉の歴、雑行を捨てて本願に帰す」と悟られ、苦悩の人生すべてを照らす自覚として生涯の師に遇えたことに深い感動を胸に抱かれ、以来90歳の命終に至るまで「ただ念仏して弥陀に助けまいらすべし」と人生荘厳の歩みを私たちに示されました。
それから七50年の時を超えて「南無阿弥陀仏」と声掛けられており「いざ往かん、他郷には留まるべからず」と申されております。
これに伴い浄泉寺では御遠忌参拝を計画しております。50年に一度の御遠忌には是非多くの皆さんが参加されますようお待ちしております。
日程は平成23年4月25日から27日を予定しております。詳細についてはあらためてご案内いたします。
会報を発行して今回で15号となりました。この間毎年休まず発行できたのも、並々ならぬ決意をお持ちの赤羽根住職と赤間責任役員のご努力、そして読者の皆様のご協力によるものと思います。
何かを始めるとき、将来の大きな夢を描き期待をもって始めるのですが、それを継続するということは難しいもので、障害を乗切れず挫折したり、中途で投げ出してしまうことがあるものです。
しかし、その夢なりに呼応し同調しそして期待する人がいる限り努力する力も湧いてくるもので、事実そこには読者である門信徒皆さんの応援の声をたくさんいただき、それが編集に携わる者の背中を押してくれたことでした。
「継続は力なり」と言われます。毎号筆を執り続けられるお二人と読者の皆様に感謝申し上げます。
これからもご協力のほど宜しくお願い致します。
(大坂 記)
宝池山浄泉寺 宮城県大崎市岩出山字浦小路113