浄土真宗大谷派宝池山浄泉寺(宮城県大崎市岩出山)

親鸞教室

昭和 61 年より浄泉寺親鸞教室がはじまりました。ごく日常的な生活の中から一人ひとりの発言を通して経典に照らして考えることができ、大変貴重な時間を持つことができました。

親鸞教室

浄泉寺住職 赤羽根證信

 昭和 60 年、年の瀬も近い 12 月中旬、突然、春日所長と信楽教導が来山した。 1 月から親鸞教室を開いて欲しいというのである。一瞬「どうしよう・・・」頭の中にこどもの問題、親の問題、門徒の問題 etc …。断るための口実や言い訳けは山ほどありながら実にやっかいである。しかもこれまでの親鸞教室と違って、毎月しかも 1 年間だという。困った、実に困った。しかし、よくよく考えるとチャンスなのである。あらためて「親鸞教室・・・ムー・・・。」「誰のために開くのか・・・。」そうなのである、「自分のために・・・。そんな殊勝な心音のねじまがり、今更どのハラワタをさらすのか!

 「よしやってみよう、失うものは何一つないのだから・・・。しからば 1 月から」、会員の上限は 15 名位と決める。そして 12 名でスタートした。しかも夜 7 時から 10 時頃までとし、 1 年間という約束はともかく、「しなければならない」と義務感を皆が感ずるのならやめればいい、しかし、「せずにはおれない」と思うのならやり続けられる。スタートして数ヶ月、参加している会員から予想を越える反応があった。「毎月が待ち遠しい、そして楽しい、何とか続けましょう」というのである。私自身も新鮮な驚きだった。

 いよいよ 12 月、それまで参加した方々に、真宗聖典と念珠輪袈裟を記念に出した。スタッフのお陰で素晴らしい充実した一年だった。スタートしてから途中で休んだままの人もいたが、皆勤の方も数名おられた。何よりも、本堂に掲示した「親鸞教室」へのお誘いのポスターを見て参加した人達も含めて、「引き続き継続して欲しい」との要望で実施出来ていることに、出逢いの有難さを感じている。ささやかな活動ではあるが、今の私には得難いことなのである。

 こんな過疎地と思い暮らしていた自分に、寺に住む責任を少しぐらい果して来たというお陰と意識を感じ始めて、また、新しい「親鸞教室」の持つ重要性を大切に思う次第である。

親鸞教室のスタッフとして

北上市通来寺住職 清谷和男

清谷和男住職  平成 5 年 11 月 17 日、久しぶりに浄泉寺さんを訪れた。近々本堂の落慶法要が行われるということは伺っており、以前に設計図も見せていただいていたので、自分なりにイメージを描いていた。その私のイメージという計いが、新しい御堂の前に立った時完全に砕かれた。イメージはさておき、中に入ってその造りや荘厳から、住職さんや門徒さんのひたむきな熱い願いが込められていることが、私の全身に伝わってくる。
 それは「浄泉寺親鸞教室」で、皆さんの話し合いから感じられる情熱と全く同質のようにみえた。

 そして 11 月 23 日の報恩講に再びお伺いさせていただいた。各地から集まって来られた方々が御堂に座している。何か宿願が実って、この御堂建立を成し遂げた喜びを、お互いにたしかめ合っているように見えた。そこからまた、「お寺とは何か!・・・」お寺に住む私にも問いがはね返ってきた。
親鸞聖人の作られた「浄土和讃」の中に

 七宝講堂道場樹
 方便化身の浄土なり
 十方来生きわもなし
 講堂道場礼すべし

というのがある。これは、浄土には講堂があり道場樹が並んでいて、その講堂は、金・銀・るり・はり・さんご・めのう・しゃこの七宝をもってちりばめられ、さんぜんと輝いている。これは人々を誘い入れるためにあらわし出された方便手だての浄土で、ここに十方国土から集まって来て、往生する人は後をたたない。この講堂や道場を設けられた阿弥陀仏に礼すべし。という意味であると聞いた。そしてまた、講堂というのは仏の説法の間であり、道場樹は釈尊が悟りを開かれた時に、その上に覆いかぶさっていた菩提樹のことであるという。そういう伝統が、御堂建立の内に托されていることを改めて思わせられる。

 1986 年(昭和 61 年) 1 月、「親鸞教室」が開かれるというご縁で、スタッフのひとりとして参加させていただくことになった。正直言って、初めは使命感というより不安が大部分を占め、多少の期待感もあったことは事実だ。その期待感というのは、自分でも今一つはっきりしない部分もあるが、集まった方々と通じ合っていけるかなという不安の混じった期待感である。それが今では良き友ともいうべき方々との出会いの始まりであった。

 夜 7 時、それぞれの勤めを終えた顔が、 1 人また 1 人と集まって来られる。それは決して義務感というような表情ではなく、 1 か月が待ち遠しかったという顔に見えた。「何故なんだろう・・・。」そう思いつつ、いつの間にか私自身その日を心待ちにしているようになっていた。それまでの私は、宴会と聞くと心浮き浮き心待ちにするということはあっても、会議とか研修会ともなると、なんとも足が重く少々憂うつ気味であることは確かだ。それが今回は心待ちにしつつ足も軽やかにとは、私自身新鮮な驚きであった。

 これはあくまでも私の目からみた浄泉寺さんの親鸞教室であるけれども、集まってきた人々の個性がそのまま自然に持ち出され、それが違和感を感じさせない話し合いになったこと、これは不思議な出会いである。

 前回の話し合いの中でいくつかの課題が残される。その中から次回の問題提起がなされ、そのことについての話し合い・・・。内容的には日常生活のことが中心であって、参加者それぞれの人生経験をもとにした思い、疑問等を出し合う。そしてそのことを経典に聞くというか、親鸞聖人の教えに照らすという方向性があることによって、再び問いがはね返ってくる。そういう会だったので、何かの都合で 1 〜 2 回欠席しても、とかく一般的な学習会にありがちな「とり残され感」や「休んだことのハンディ」を感じることは殆んど無かったという感想が出されていた。

 こうして、この親鸞教室の流れをたどってみると、ごく日常的な生活の中からお一人おひとりの発言を通して経典に照らして考えるという、私自身すごく大事な機会をいただいたことである。そういう意味でも私が教えられる会であった。

 9 時過ぎに一応日程の話し合いが終り、次の懇談会(?)に移る。これがまたいい。遅い時間なので少し眠気を感じ始めた時の香辛料ともいうのだろうか。住職さんや何人かの方が持参した季節ものを、特別料理人の住職さんが即刻料理という特技を生かして下さり、テーブルに並べられる。そして潤滑油の入った口からは、今までの話し合いが更に思い思いに自由に飛び交い、人間関係が深められる感じで、どれもこれも有意義な時であったと私の中には残っている。特に後半の会では、私の方から何か話すということでもなく、のんびりと皆さんの話を聞かせていただくという時間なので、少々無責任かもしれないがリラックスもでき、それでいて学ぶことばかりで貴重であった。

 いずれにしても、北上に住んでいる私にとって、岩出山の浄泉寺さんにご縁のある方々と出会うことになるなんて、私の人生に於いても出会いの不思議を思わせられるものであった。よく教えていただくことのなかに、人との出会い、そして自分自身との出会いということがある。なかなか自分自身に出会えないということがあっても、一人ひとり世界観が違ったりしても、そこに驚きをもって聞いていくなら、そのことが私の中で世界が広がり、また私の世界の狭さを教えてくれるものとしての出会いとなっていくことは、本当に有難いことだと思う。